佐藤勝利くんとジャニーズ・マスト・ゴー・オンの話

 

約二年前の五月に友人のつくっている「継承」をテーマにした批評同人誌に、『ジャニー喜多川なき世界に向かって -ジャニーズ マスト ゴー オン-』という文章を載せてもらいました。このブログで宣伝もしました。これですね。

chocomintholic5.hatenablog.com

 

先日Twitterを通じてこちらの購入希望のリクエストをいただき大変嬉しかったのですが、ずいぶん前に書いたものにお金を払っていただくのがなんともしのびなくて、タイミングをみてブログに載せますね~!とお約束したまま、半年が過ぎようとしています。(土下座)

 

ここ一年ほどは、ジャニーズという事務所をめぐってさまざま出来事があり、このニュースが出たタイミングでこの内容はちょっとどうかな…と躊躇しているうちに、気づいたら半年経っていた次第でして。(いいわけです。すみません。土下座)

 

で、なんで今この記事をアップしようとしているかというと、二日ほど前に健人くんのソロコンについて感想記事を書いていたところ、SexyZoneの絶対的センター佐藤勝利くんがソロコンサートの初日で

「僕たちSexyZoneがジャニーズを永遠にしていきます」

 と語ったという話を聞きまして、え、それ私が二年前に妄想してたやつでは…と驚愕したからです。そして、リクエストをいただいたのに、半年放置していたことも思い出しました。

おーい!二年前のわたし!勝利くんジャニーズを永遠にするってよーーー!!

 

前置きが長くなってしまうのですが、これを書いた当時、ジャニーズを好きになって一年くらいで初めて『ジャニーズワールド』を観て衝撃をうけ、ジャニーズおよびジャニー喜多川の素晴らしさと興味深さと恐ろしさについて、とりつかれたように毎日ひたすら考えていて、そこで出た結論が「ジャニワとは、佐藤勝利がジャニーズを永遠にする物語である」というものだったんですよね。あとは、大好きなSexyZoneが流動化とか訳のわからないことになっており、いやいやSexyZoneは絶対に五人です!!ジャニーズを永遠にするために五人が必要不可欠です!!っていうことを書きたかったという気持ちもありました。



まあ勝利くんの発言について、「わたしは二年前から予測してたぜへっへん」とかいう気持ちよりも、なんかこのわけのわからん長文を公開するタイミングは今しかないのでは…という気持ちでおります。

何より、今年は勝利くんのソロコンもう観られなさそうだなとあきらめかけていたところ、同行させていただけることになり、明日勝利くんのステージを観たら、こんな文章は永遠に葬りたくなるのではないかと思ったので、観る前にアップします。(土下寝)

 

先に目次を載せておきます。長いので、気になったところだけ読んでいただいても。リンクするやつはごめんなさいやってません。

1 ジャニーズにとって「継承」とは

2 ジャニーズミュージカルと「Show must go on」

3 劇場型人材育成システムとしてのミュージカル

4 堂本光一中居正広と「Show must go on」

5 ジャニーズ文化の成熟とジャニーズニュータイプたち

6 佐藤勝利という光

7 ジャニー喜多川なき世界に向かって 

 

 

二年以上前に書いたものなので、現在と食い違っているところがかなりあるかと思いますが、きりがないので基本的には誤字等の修正のみしております。ちなみに注も紙ベースのときのままです。

ブログ用に書いたものではないので、文体がアレですが、「ジャニーはどのような思いを託しているのか…」とか言ってるの、これはこれでちょっと面白いのでこのまま載せます。そもそも、こういう目次の中に載っけてもらってたこと自体ちょっとおもしろいんですけどね。なんか、こういうオタクもいるんだなあくらいの生暖かい目で読んでいただけたらと思います。

f:id:chocomintholic5:20170812205111j:plain

あらためて最後に、SexyZone流動化が危ぶまれた時期のことやSMAPのことなど、センシティブな話題に触れている部分もありますので、ご注意ください。

 *以下からが本文です。

 

*********************

 

 

先日、某女性アイドルグループファンの友人と飲んでいたときのことである。ジャニーズアイドルグループSexyZoneのファンである私は、事務所の格差売りがいかに酷いものであるか、Sexy鬱*1の現状を友人に一方的に訴えていた。しばらくは黙って聞いてくれていた彼女だったが、突然、私の話を遮り次のようにブチ切れた。「ジャニーズはデビューしちゃえば、毎年大きな会場でコンサートやって衣装もセットもお金かけてもらって毎月テレビも雑誌もあって、これ以上何が不満なわけ?そんぐらい我慢しろや!!」このあと彼女は、煙が立った程度の恋愛スキャンダルでこれまでの地道な努力が水の泡になった推しメンの話、卒業という制度がいかに残酷なものか、ものすごい熱量で語ってくれたのだった。

 

 

 ジャニーズにおける「継承」とは

女性アイドルと比較すると、確かにジャニーズタレントは恵まれていると言える。『文春』のメリー喜多川独占インタビューで本人の口からも語られたように彼女のマネージメント力、ジャニー喜多川のコンテンツを生み出す力は、ジャニーズ事務所にタレントを守るための大きな力を与えてきた。半世紀も男性アイドル市場を独占的に支配する例は世界でも他にないのではないか。

現在ジャニーズにおける最注目の「継承」問題と言えば、御年八十八歳と八十三歳の喜多川姉弟の跡を誰が継ぐのかということだろう。SMAPを現在の地位にまで育てた飯島マネージャーと、メリーの娘で嵐を担当するジュリー喜多川。マネージメント面、つまりメリーの後継者は、この二名のどちらかだろうと目されている。一方でジャニー喜多川が担当してきたコンテンツ面は誰が引き継ぐのか。ジャニー喜多川の独特のセンスと、ダイヤの原石を見抜く才能がなければ、ここまで巨大な事務所にはならなかっただろう。

本稿では、ジャニー喜多川がジャニーズタレントに「継承」させてきたのは「Show must go on !」精神であるとし、それがいかにして「継承」されてきたのか、またそう遠くない未来に予想されるジャニー喜多川なき世界で、いかにジャニーズが「継承」され得るのかについて考えてみたい。

 

 

ジャニーズミュージカルと「Show must go on」の意味するもの

 ジャニー喜多川が最も力を入れている活動はミュージカル制作であると言われている。少年野球団だった「ジャニーズ」が芸能事務所となったのは、ミュージカルを映画化した『ウエスト・サイド・ストーリー』がきっかけだったことはすでに指摘されている通りだ*2

事務所の立ち上げ時から半世紀が経った現在でも、脚本・演出・プロデュースすべてにジャニー喜多川の名がクレジットされた舞台が毎年何本も上演されている。今年一月の『二〇一五新春ジャニーズワールド』の期間中は、ほぼ毎日帝国劇場でジャニーの目撃情報があったほどの熱の入れ具合である。

 よく比較される宝塚やAKBと違い、ジャニーズは専用劇場をもっていない。だが、帝国劇場、新橋演舞場東京グローブ座などは、年間の半分近くがジャニーズの舞台で使われており、御用劇場となっているのが現状である。

ジャニーズミュージカルの特徴と言えばまず「役名=タレント名」であることが挙げられる。堂本光一が「コウイチ」役を演じ、中島健人が「ケント」役を演じる。また、『EndlessSHOCK』や『PLAY ZONE』など、「舞台をつくること、ステージに立つこと」がテーマになっている作品が多い。つまり、ストーリー内の役どころと、実際に舞台に取り組むジャニーズタレント自身の姿とを、ファンが二重写しで観ることが前提となっているのである。これらの舞台のストーリーの中で重要な役割を持つのが、「Show must go on!」という言葉だ。「何が起こってもショーを中断してはならない。」ショービズ界ではしばしば使われてきた言葉だという。時代・演目を超えて繰り返されるこの言葉に、ジャニーはどのような思いを託しているのか。

 

 

 

劇場型人材育成システムとしてのミュージカル

近年ジャニーが最も力をが入れていると言われる『二〇一五新春ジャニーズワールド』(以下ジャニワ)を例にして、ミュージカルにおける若手ジャニーズ育成システムについて考えてみたい。

 「ジャニワ」の大まかなストーリーは以下のようなものだ。

 

ミュージカルカンパニーの一員である(佐藤勝利演じる)「勝利」と(中島健人演じる)「健人」。ある日ショーのフライング中に「勝利」がセットに衝突する事故に遭ってしまう。「これ以上ショーを続けられない」と言う勝利に対し、ショー作りに心血をそそぐ(錦織一清演じる)「プロデューサー」は「Show must go on!」と説く。「プロデューサーは狂ってる!」と文句を言いながらも、一緒にショー作りを続ける二人。プロデューサーは、今までにない新しいショーを作るために二人を連れて人間の暦を越えた「十三月」を探す旅に出る。

 

この「十三月」を探す旅は、一月のジャポニスム満載の和楽器ショーから始まり、タイタニック号沈没のシーンの寸劇、ヒンデンブルグ号事件、第二次世界大戦、オリンピック、十二月の源平合戦まで、月ごとに次々に場面が変わっていくレビューのようなものだ。くわしい意味付けはここでは割愛するが、プロデューサーのこれまでのショーのアイデアを集めたものだと考えられる。つまり、ショーの歴史をたどる旅でもあるのだ。重要なのは、ジャニーを彷彿とさせる狂気のプロデューサーがこの旅で「勝利」と「健人」に何を伝えたかったかである。

旅の中で「勝利」には、「生きることの意味とは…」「生きるって何なんだ」という台詞が与えらてれており、「健人」には「やっと分かりました!狂気の意味が!挑戦と冒険こそがショーを作るんですね!」という台詞が与えられている。このことから「勝利」は「生きること」を、「健人」は「ショーを作ること」をそれぞれプロデューサーから学び取る存在であると考えられる。

この二人が旅の中で悲劇ばかりを描くショーに絶望し、傷つけ合い、悩みながらも、理解し合うようになる様を描くことで「ジャニワ」は、「生きること」と「ショーを作ること」の関係性を描いているのだ。物語の終盤、二人ががっちりと腕を組み、シンメトリーなポーズでフライングする見せ場は、まさに「生きること」と「ショーを作ること」が表裏一体であることを象徴しているのだろう*3。このように考えたとき「Show must go on!」という言葉は「生きるためにショーを作り続けなければならない」「生きている限りショーを作ることから逃れることはできない」という意味も持つことになる。プロデューサーが「勝利」と「健人」に試練を与えて一人前にしていくというストーリーに、舞台裏でジャニーが佐藤勝利中島健人に稽古をつけているさまを、観客は重ねる。

「Show must go on!」という言葉は、ジャニーズとして、アイドルとして、どのように生きるべきかを説いているのである。

 

結局「十三月」が一体何なのかは明かされないまま、プロデューサーが唐突に「十三月はみんなの心の中にあったのだ!」と言い出し、その答えに一同が納得して大団円を迎えることが、「ジャニワ」のトンチキ舞台たるゆえんだ。結末が意味不明だからこそ、過程が輝く。「勝利」と「健人」が「生きること」と「ショーを作ること」の関係性に悩み、プロデューサーから必死に学び取ろうとするその過程を観客と共有することこそ、この舞台の肝なのだ*4。役とタレントをダブらせ、ストーリーを入れ子構造にすることで、劇場型人材育成システムとしてミュージカルが機能しているのである。ミュージカルに抜擢された若手ジャニーズにとって「Show must go on!」はジャニーからの教えであり、アイドルとして活躍すべき未来への道しるべとなるのである。

 

 

 

堂本光一中居正広と「Show must go on!」

ジャニーズタレントはさまざまな機会にジャニー本人、またジャニーの指導を直接受けた先輩ジャニーズから「Show must go on!」精神を「継承」するのだろう。例えば、KinkiKidsの堂本光一は舞台中心、SMAP中居正広はテレビバラエティ中心と、それぞれまったく別の方針で活動しているように見える。しかし実は二人とも「Show must go on!」を背負っている。

堂本光一は二〇〇〇年から『SHOCK』というミュージカルの座長を務め、今年で十五年目になる。ミュージカルカンパニーを率いる「コウイチ」が仲間とぶつかりながらも人生をショー作りに捧げるというストーリーの作品であり、観客は座長としてストイックに舞台を作り続けていく堂本光一と「コウイチ」を重ねて鑑賞する。この舞台の見せ場は、何といっても五メートルもの高さからの階段落ちだ。カンパニーナンバー2の「ヤラ」は、「コウイチ」への反発心から、劇中のミュージカルシーンの小道具である日本刀を本物の刀にすり替えてしまう。殺陣の演技の中で重傷を負い、「ヤラ」の企てに気付きながらも、「コウイチ」は自らが信じてきた「Show must  go on!」精神にのっとってショーを続け、脚本通りに階段落ちを決行することで命を落とす、というシーンである。

ジャニーズの舞台は、役名やストーリー設定により現実と虚構の世界を交錯させる仕組みになっているというのは先述した通りであるが、奇しくも今年の三月十九日の『EndlessSHOCK』昼公演で、虚構が現実化したような事故が起きてしまった。八百キロもの重さがあるセットが突然本番中に倒れたのである。負傷者数名が救急車で運ばれ、その日の公演はそのまま中止となった。幸い、負傷者全員がその日のうちに退院でき、セットも別のものに代えることができたため、翌日から公演続行となった。千穐楽のカーテンコールで、座長堂本光一は次のような挨拶をした。

 

(前略)翌日から再開することには批判もあるかもしれないと思いましたが、僕は覚悟の上で再開しました。あの事故の翌日、大道具の棟梁さんが僕のところに来て「頑張りますから」と仰って、グッときました。僕たちは言葉でなく、パフォーマンスで全てを表現していこうと決めたんです*5

 

この事故により露呈したのは、「Show must go on!」を強いることの残酷さだ。この挨拶から、堂本はショーを続けることが必ずしも賞賛されるべき態度でないと認識していることが分かる。本番中ケガをする可能性が最も高いのも、ショーを続けることの責任を負うのも、舞台に立つ堂本本人だ。死者が出ていた可能性。堂本自身が重傷を負っていた可能性。ショーのストーリーのような悲惨なことが実際に起こり得る現実を引き受けて、座長として舞台に立つ。その「覚悟」を持たせるのが「Show must go on!」という言葉なのではないか。劇中、階段落ちの後に幽霊となってカンパニーに戻ってきた「コウイチ」が「ヤラ」に次のような言葉をかけるシーンがある。

 

オレたちは一つ苦しめば、一つ表現が見つかる。一つ傷つけば、一つ表現が作れる。ボロボロになれば、そのぶん輝ける。だからお前がショーを続けたことは正しかったんだ。

 

堂本は、事故の翌日、長年『SHOCK』カンパニーの一員として彼を支えてきた福田悠太ら後輩のところに来て「僕たちは舞台に立つことしかできない」と言ったという。『SHOCK』は堂本光一が人生をかけてショーを作り続ける場所であり、同時に、舞台に立ち続けることによって人生をかけた「覚悟」を見せ続ける場所なのである。このような座長の背中から、後輩たちも「生きること」と「ショーを作ること」の関係性を学び取る。

「Show must go on!」精神ゆえの「覚悟」を背負っているのは中居正広も同じだ。二〇一四年三月に放送された『笑っていいとも』の最終回スペシャルで中居はタモリへの手紙の中で次のように語った。

 

歌の世界っていうのは、いずれかライブとかやれば最終日があって。ドラマもクランクアップがあって。映画もオールアップがあって。なんか始める時にその終わりを、ゴールに向かって、それを糧にして進んでいるんじゃないかなって思います。でもバラエティは終わらないことを目指して進むジャンルなんじゃないかなと。覚悟を持たないといけないジャンルなんじゃないかなと。(中略)他のジャンルは、評判が良かろうが悪かろうが終わりがあるんですけど、バラエティってゴールがないところで終わらなければならないので、こんなに残酷なことがあるのかなと思います。

 

SMAPといえば、それまでジャニーズタレントからは敬遠されていたバラエティに挑戦することで国民的アイドルとしての地位を獲得したグループだ。特に中居は有能な司会者でありながら、アイドルで居続けるという特異な存在となった。四十歳を超えてアイドルとして第一線で活躍し続ける例は、SMAP以外に見られない。タモリが総合司会を務め、『笑っていいとも!』をベースに放送された二〇一二年の『二十七時間テレビ』では、メンバーの草なぎ剛が百キロマラソンに挑戦し、見せ場の一つとなっていた。SMAPも、アイドルとしてどこまで走れるのか、先導者もゴールもないマラソンを続けているようなものではないか。彼らの、人生をかけた過酷なマラソンにチャレンジする姿に、私たちは尊敬なのか同情なのか分からないけれど、とにかく心が動かされてしまう。卒業のないジャニーズは女性アイドルとは別の、ゴールがないという過酷さを背負っているのである。

舞台に立ち続けること、アイドルで居続けることで背負う覚悟、その過酷さを思うと、「Show must go on!」とは未来への道しるべであると同時に、ジャニーがタレントたちにかけた呪いのようなものに思えてくる。

 

 

ジャニーズ文化の成熟とジャニーズニュータイプたち 

ジャニーが育んできたジャニーズとしての精神は、どのように「継承」されているのだろうか。まだ無名のジャニーズJrたちは、コンサートでデビュー組のバックダンサーを務めたり、先輩ジャニーズ主演のドラマに端役として出演したりしながら、先輩の背中を見て学んでいくことが多いのだろう。Jrや若手グループが『少年倶楽部*6やアイドル雑誌のインタビューで必ず聞かれる項目に「尊敬する先輩(ジャニオタ用語で「尊先」)」というものがある。ジャニーズ内で目標とする先輩を公式的に明言することで、ファンとも共有しつつ、先輩から後輩への「継承」が続いていく。近年、このようなシステムの中に新しい「継承」のかたちが生まれている。なんとジャニーズ内部にジャニオタが紛れ込んでいるのである。

SexyZoneはメンバー内ジャニオタ率が特に高いグループだ。最年長の中島健人は、小学六年生の時に亀梨和也山下智久のドラマ派生ユニット「修二と彰」の『青春アミーゴ』でジャニーズに憧れ、自分と同世代の山田涼介(Hey!Say!Jump!)の活躍を見て自らジャニーズ入りを決意したという。山田との共演時には山田を慕う他の後輩を牽制するなど、強火山田担(熱心な山田ファンのこと)の姿そのものだ。先日も先輩である中山優馬のラジオ「LOOK AT YOU-MA」にファンのように感想メールを送り、驚いた中山が「いろんな人のラジオ聴いたりテレビ観たり、勉強熱心なのかなんなのか」とコメントしていた*7。ラジオだけでなく、先輩ジャニーズ出演のドラマも毎クールほぼ網羅して観ているようだ。大学と芸能活動の両立で多忙な身にも関わらず、ここまで熱心にチェックできるのは、ジャニーズに対する愛情の強さゆえだろう。同メンバーの菊池風磨もジャニーズに入ったきっかけは、小学二年生のころから「嵐にあこがれて」だと語っているし、松島聡も同じ静岡県出身の知念侑李(Hey!Say!Jump!)に憧れており、「気持ち悪いくらい好き」「1にファン、2に家族、3に知念くんが大切」などと発言している。このような態度はこれまでの「尊先」の枠を越えたものだろう。松島に至っては、先日も雑誌で「疲れた時の回復法」として「ライブのDVDを観ること。自称〝ジャニオタ〟の自分としては(笑)」*8と自ら「ジャニオタ」であることまで明言している。

ジャニーズ内にジャニオタがいるという事態は、今までは考えられなかった。中島・菊池世代、つまり二十歳前後よりも前にジャニーズに入る少年たちは、他者から見出されてジャニーズになった者がほとんどだ。ジャニーズ入所のきっかけを聞かれると、たいてい「知らない間に姉(母、親戚…)が勝手に履歴書を送っていて…」と答える。自ら進んでジャニーズになったわけではない者が全員アイドルである自分とうまく折り合いをつけられるわけではない。「人類の奇跡」と呼ばれるほどのルックスを誇る山下智久はインタビューで「カメラの前に立っても、面白くもないのに笑えなかった」と過去の自分を振り返っている。「アイドルである」「ジャニーズである」ことへの葛藤を表明するジャニーズタレントは山下だけではない。それがグループ脱退や退所という形につながることも少なくなかった。そのような葛藤を小説という形に昇華させたのが加藤シゲアキの『ピンクとグレー』ではないだろうか*9。加藤の所属するNEWSは、結成時九人だったのが、メンバーの脱退が続いたことにより、現在は四人で活動している。脱退したうちの一人が、山下だ。本作の中で、タレントとしての自分と「本当」の自分との乖離に悩み、人気絶頂期に自死を選ぶ「蓮吾」の姿は、山下のようなジャニーズタレントの姿と重なるところがある。矢野利裕は本作について、「蓮吾」が遺書を複数用意し、どれが公開するのにふさわしいかを親友の河田に選ばせる点にこそ「アイドルという存在の本質が示されている」とし、「本当の自分すらも受け手に委ねる、アイドルはそのようにしか生きられない、ということである。この点に作者の、アイドルとしての覚悟を感じた。」と述べる*10。現在二十代後半の山下・加藤世代のジャニーズタレントにとって、アイドルである自分を受け入れることは、「覚悟」が必要なことだったのである。

それに対し、先述したジャニオタ集団SexyZoneは、ジャニーズのニュータイプと言える。「顔がカッコよかったから」というだけではなく、「ジャニーズアイドルになりたい」と思って入所してくるのだから、芸能界の厳しさを味わうことはあるだろうが、山下・加藤世代が抱えていたような葛藤はずっと少ないはずである。それは内面の問題だけでなく、ステージ上の振る舞いにも表れる。ステージでの立ち位置がシンメトリーな二人のことを、ジャニオタ用語で「シンメ」と呼んでいる。人気の高い者同士が組まされることが多く、立ち位置を決めるのはタレント自身ではないため、プロデューサー側から勝手に与えられるものだ。したがって仲間意識のようなものが生まれこそすれ、これまでタレント本人に「シンメ」を売りにする意識は薄かった。ファンはパフォーマンスや漏れ伝わるプライベートでの関わりなどからそれぞれの「シンメ」の関係性を想像し、ときには妄想して楽しむものであった。そのような「シンメ」制度とファンのあり方もニュータイプたちは更新していく。Jr時代からデビュー後の現在まで中島と菊池も「シンメ」である。二人はジャニオタ同士だけあって、意識的に「シンメ」であることを売りにして人気につなげるような振る舞いをしている。ファン以上に本人たちが「シンメ」であることに陶酔しているのである。

 

中島:風磨とは運命的なものを感じてたよ。“このコとは何かある。この先、長い付き合いになるな”っていう。よく「結婚する相手に出会うとビビビっとくる」みたいなこと言うじゃん。そういう予感っていうやつ?*11

 

中島:風磨がステージに飛び出すその瞬間、俺に向けられた拳。Jr時代からつづいている、ふたりだけの儀式。思い返せば風磨からは、初めてだったかもしれない。うれしかった。やってやろうと思った*12

 

菊池:暗黙の了解というか、普段の生活で一緒にいるときもステージに立っているときも、だいたい分かるよね、中島の考えてることは*13

 

中島:最近風磨との運命を感じる。もちろんメンバーには運命を感じるけど、風磨にはそれ以上。この先、どんなことがあっても隣にいるんだろうなぁって。ライバルとか友達ではなく一緒に戦う同士っていう感覚*14

 

中島:風磨とだったら、ふたりにしか生み出せない“何か”が見える気がして。誰も手が出せない何かが絶対にあるはず。

菊池:僕が本気で何かをやろうと思ったとき、必要なのは誰かって言ったら、中島しかいないんだ*15

 

 

まるで青春ドラマの台詞のようだ。これらは、中島・菊池シンメがナチュラルかつ定期的に供給してくれるシンメポエムの一部である。もちろんステージ上での背中合わせ歌唱やハイタッチなどは、「シンメ」の絆を感じさせる行為として当然ファンを喜ばせる。このような発言はより一層ファンを喜ばせるものだ。思春期を経て二人の関係は変化した部分はある。だが、この中島・菊池シンメは今にいたるまで、「シンメ」としての「運命」を誰よりも自分たち自身が信じているように見える。たまたま入所時期が近かったために組むことになった「シンメ」。その偶然を「運命」だと読み替えて、「オレとアイツ」の世界観を作り上げる才能が二人にはあったのだ。ファンを喜ばせるための振る舞いや発言に、彼ら自身がファン同様に興奮している様は、さらにファンを喜ばせる。SexyZoneの場合、コンサートなどでこのシンメがシンメらしい振る舞いをする度に、もう一人のジャニオタ松島が「こりゃーふまけん(風磨と健人シンメのジャニオタ内の愛称)ファンはたまらないね」とさらにジャニオタ用語でトークを展開するのである。

他のグループに比べて入所からデビューまでの期間が圧倒的に短い彼らは、ルックス・歌唱力・ダンスなどの才能以上に、ジャニオタ目線でファンが喜ぶような自己プロデュースができることが見込まれたのではないだろうか。このようなジャニオタの心がわかるジャニーズが増えているのは、SNSなどでファンの声を直接タレントが目にする機会が増えたこともあるだろうが、何よりジャニーズという文化の成熟の証なのではないだろうか。

ジャニオタ精神を持ち合わせたジャニーズJrも増えている。デビュー最有力候補である神宮寺勇太(十七歳)と岩橋玄樹(十八歳)も「シンメ」としての見せ方に意識的だ。雑誌で「シンメとしての動きを学ぶためにSexyZoneのコンサートDVDでふまけんを研究している」というような発言をしている。さらにお姫様抱っこやほっぺチューなど恋人同士のような身体接触・発言をすることを喜ぶジャニオタが増加していることをうまく利用して、より多くのファンを獲得している。岩橋はアイドル雑誌『Myojo』で毎年行われている「Jr大賞」の「恋人にしたいJrランキング(つまり実質の人気投票)」で二年連続で一位を獲得するまでになった。しかし一位を記念する誌面に、なぜかウエディングドレスを着て、タキシードの神宮寺にエスコートされる姿で登場したのは、ジャニオタの予想を超えていたのではないか。岩橋がすごいのは、恋人にしたいランキング一位の男性アイドルが女装をするという倒錯をジャニオタ以上に、本人が楽しんでいるように見えるところだ。ジャニオタの勝手な欲望にさらされることをさらっと引き受け、さらにその欲望の上を見せてくれる。今後は彼らのようなJrが増えていくのだろう。

 数多くの少年たちの中から「シンメ」を見出し、ユニットを作り出すのは、長らくジャニー喜多川のみに許された仕事であった。時に本当に仲の良いチームを解体したり、未来を約束し合った者同士を引き裂いたりと、少年たちの「運命」を握るのはジャニーただ一人であり、ジャニーズタレント・ジャニオタはその仕事ぶりを信頼しつつも、指をくわえて見つめているしかなかった。しかし、SexyZoneやそれに続くJrたちは、ジャニーがこれまで一方的に押し付けてきた「運命」をも自ら信じ、より強固な自分らしいものにしていくことができる。またさらにそこに、ジャニオタの欲望をふまえた一段階レベルの高い表現で応えていく。AKBの指原莉乃が女子アイドルオタクであるがゆえに、ファン心理を巧みにつかみ、自己プロデュースのみならず、後輩アイドルのプロデュースにも成功していることはよく知らているだろう。ジャニーズにおいても今後、指原的な才能を発揮する者が出てくるのではないだろうか。

 

 

佐藤勝利という光 

「スペオキ」というジャニオタ用語がある。これはジャニーの「スペシャルお気に入り」の略で、堂本剛中山優馬らがそれに該当すると言われている。「スペオキ」は、ジャニーから特別扱いされるだけでなく、活動歴やファンからの知名度に関わらず仕事面でも優遇される。現在一番推されている「スペオキ」は、「YOUは特別かっこいいよ」とジャニーに太鼓判を押され、入所一年未満にも関わらずグループのセンターとしてデビューした佐藤勝利だ。佐藤はデビュー前に、他のメンバーが呼ばれていない会議にタレントとして唯一呼ばれ、ジャニーと二人でデビュー曲のカップリングを決めたという。この曲のサビは次のような歌詞になっている。

 

見つけたんだ 小さな光 未来へ with you with you (中略)求めてた希望のかけら

(『With you』)

 

 

この歌詞に当時のジャニーの気持ちを重ねてしまうのは、乱暴過ぎるだろうか。だが、ジャニーがこの曲に佐藤への特別な思いを込めていたのは間違いないだろう。ジャニーがオーディションで佐藤勝利を見つけた二〇一〇年はジャニーズ事務所にとってどのような時期だったのか。まずは二〇〇〇年代後半からデータ・ダウンロードが増えたことによる、CD全体の売り上げ数の圧倒的な減少。KinkiKidsやKAT-TUNが自ら主演したドラマの主題歌でミリオンヒットを飛ばしていた一九九〇年代後半~二〇〇〇年代前半からは信じられないほど、CDが売れなくなった時期である。さらにEXILEの弟分として三代目J Soul Brothersを結成されたのも二〇一〇年である。つまり、ヒットが出にくい上に強力なライバル事務所の影が迫りつつあった時期なのである。

ジャニーにとって佐藤勝利はスペオキ以上に、ジャニーズ黄金期を再来させるための「希望のかけら」だったのだ。佐藤はジャニーの言葉通り、誰もが認める圧倒的美少年である。そしてその佐藤の所属するグループこそジャニーズ内ジャニオタ率№1のSexyZoneだ。ジャニオタ目線の自己プロデュース能力に長けた中島・菊池・松島に加え、強力な五人目のメンバーであるマリウス葉は、ドイツ出身で母親が元タカラジェンヌという少女マンガのようなプロフィールの持ち主だ。「本当は宝塚に入ってたくさんの人を幸せにしたかったけど、男の子で宝塚には入れなかったからジャニーズに入った」という彼は、母の影響もあって宝塚の大ファンである。ジャニーズがその始まりから宝塚の影響を多分に受けていることを考えると、SexyZoneこそジャニーの理想を反映させるのに最強の布陣であり、ジャニーズ帝国の存亡を託されて結成されたグループだと言えよう。メンバーの菊池風磨もインタビューで

SexyZoneってジャニーズの文化そのものなんだと思うんです*16

 

と述べている。

ここで先述した『二〇一五新春ジャニーズワールド』のトンチキな結末を再び思い出してみたいと思う。この舞台こそ、ジャニーが佐藤に天下をとるべく与えた城だ。暦をめぐる旅を終えてプロデューサーは「十三月は、みんなの心の中にあったのだ」と言った。通常の有限な時間の枠組みを超えた「十三月」を仮に「永遠」であるとする。また「ジャニワ」の空間にいた「みんな」とは出演していたSexyZoneらジャニーズニュータイプと観客のことであるなら、「みんなの心」とは「ジャニーズを愛する心」のことである。つまり、『ジャニーズワールド』とはジャニーズを愛する者たちの心の中に佐藤勝利が「永遠」を見出す物語なのである。佐藤は今年放送された密着ドキュメンタリーの中で「次のジャニーズワールドでは、世界観を完成させたい」という発言をしている。『ジャニーズワールド』の「完成」とは一体何を指すのだろうか。

 

 

 

ジャニー喜多川なき世界に向かって

佐藤:夢はでっかく、東京オリンピックオープニングアクトをやりたいです。一部でもいいから演出に加わりたい!ジャニーさんに、その姿を見せてあげたいです。

中島:確かに。改装が終わって新しくなった新国立劇場に最初にジャ二ーさんを連れていくっていうのはいい夢ですよね*17

 

今現在ジャニーが描く最も壮大な夢は、二〇二〇東京オリンピックオープニングアクトだ。ジャニーの夢がいつの間にか佐藤・中島らSexyZoneの夢にもなっている。オリンピックの運営側にどこまで届いているのかは分からないが、SexyZoneのバレーボールワールドカップのミュージックアンバサダー就任、オリンピックを意識した楽曲の製作、またより大規模なショーのためのSexyFamily結成など、ジャニーは本気でオリンピックを狙っているように見える。

だが、実はジャニーにとってオリンピックは通過点に過ぎないのではないか。ジャニーズ黄金期に二十代前後であったジャニーズグループの活躍がジャニーズニュータイプSexyZoneを生み出したように、オリンピックでSexyZoneが活躍することで新たにジャニーズを目指す少年を獲得することこそ、ジャニーの真の狙いなのではないか。SMAPや嵐は少年が憧れて自分の姿を重ねるには大きな存在すぎる。SexyZoneメンバーがジャニーに教育される前から、ジャニーズに憧れることでジャニーズとしての精神・振る舞いをある程度内面化していたように、オリンピックで生まれたジャニーズ少年もまた、ジャニーズの振る舞い・精神を内面化しているだろう。

そうなれば、たとえジャニーがいなくなっても、ジャニーズ自身が永遠にジャニーズを生み出し続けることができることになる。SexyZoneが、そして次に選ばれし少年たちがよりしろとなって、順番にジャニーの魂を地上にとどめ続けるのだ。このような永遠の「継承」を作り出すことこそ、『ジャニーズワールド』の完成なのではないだろうか。SexyZoneのデビュー曲『SexyZone』にはカップリング曲として前項で引用した『With you』ともう一曲『I see the light~僕たちのステージ~』が収録されている。平均年齢十四・四歳でデビューした美しく才能あふれる少年たちにジャニーはこのような一節を歌わせた。

    

僕たちのこれからを きみに捧げたい 永久(とわ)に…

『I see the light~僕たちのステージ』

 

  

果たしてオリンピックは、ジャニーズの手に落ちるのか。SexyZoneは先輩グループのようにジャニーズに憧れる少年を生み出し、ジャニーズの存在を永遠に近づけることができるのか。みんなが観るドラマもみんなが聴く音楽もない今、オリンピックはジャニーにとって、ジャニーズ少年を生み出す最後の砦だ。しかし、その使命は最年少グループが背負うにはあまりに重いものに感じられる。「Show must go on!」は少年たちにとって輝かしい未来への道しるべの言葉なのか、呪いの言葉なのか、今はまだ分からない。SexyZoneがグループとして過酷な試練を与えられる度に、私はジャニーにこう叫ぶ。

 

「プロデューサー、あんたは狂ってる!」

 ジャニーの返事はきっとこうだ。

「YOUたち、ジャニーズ マスト ゴー オンだよ」

  

 

 

*******************************

 

 

以上が、『F』に掲載した全文です。最後まで読んでくださった方、ほとんどいないかと思いますが、ありがとうございました。二年前のわたしのくすぶった思いが成仏した気がします。

これを書いた二年前から、ウェルセクコン、STAGEコンを経て、正直いまはSexyZoneの未来が明るいとしか思えないので、本当に五人に感謝ですね。

過去のことをいまさら…と思う方もいらっしゃるかと思いますが、完全に未来が明るい今だからこそ、ブログに載せようと思えたので、そこは今もう本当にSexyZoneを信じています。やったー!!SexyZoneかっこいい!大好き!!!

 

 

この文章を載せてもらった批評同人誌『F』の主催者の一人は、ジャニーズについても著書がある矢野利裕さんなのですが、矢野さん先月お会いしたときも、「最近久しぶりに『Ladyダイヤモンド』聴いたら、良すぎてイントロだけで泣けてきたよ~~~」とか言ってたので大変信頼できる男です!笑

興味を持たれた方のために、ご著書のリンクを貼っておきます。

批評同人誌『F』もどの号もとてもおもしろいので、ぜひ手に取っていただければと思います!文学フリマというイベントで買えます。10周年だそうです!すごいね!!

 

ではでは健人くんのソロコン感想に戻りますーー!

ジャニーズと日本 (講談社現代新書)

ジャニーズと日本 (講談社現代新書)

 
ジャニ研!: ジャニーズ文化論

ジャニ研!: ジャニーズ文化論

 

 

*1:SexyZoneとは二〇一一年に平均年齢十四・四歳とジャニーズ最年少でデビューした五人組アイドルグループである。「マイケルジャクソンのセクシーさを目指す」という謎のコンセプトと、「顔面偏差値東大級」という触れ込みが話題になった。メンバーは中島健人(二十一歳)、菊池風磨(二十歳)、佐藤勝利(十八歳)、松島聡(十七歳)、マリウス葉(十五歳)である。Sexy鬱とは、ここ最近の年長組三人と年少組二人の格差売りのあまりの激しさに、箱推しのファンが「なぜアイドルを見て悲しい気持ちにならなければいけないのか」と頭を抱える現象を自虐的に表現した言葉。中島健人が「Sexyわっしょい」「Sexy人間」「Sexyサンキュー」など、やたらとSexyという言葉を使うことからうまれた言葉でもある。五人でのレギュラー番組の突然の打ち切りや、年長三人のみのCD発売、コンサートや歌番組での衣装格差、年少二人がデビュー前のジャニーズJrと別ユニットを組むなど、これまでのジャニーズではあまり見られない状況だけに、SexyZoneファンのみならず多くのジャニオタの注目を集めている。逆に言えば、これまでジャニーズのグループは、一度デビューしてしまえば、自ら希望するか、違法行為でもおかさない限り、グループを脱退させられたり、解散させられることはなかった。

*2:大谷能生速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!ジャニーズ文化論』(二〇一二年十二月 原書房)に詳しい。

*3:勝利」一番の見せ場である命綱無しの赤布フライング、「健人」一番の見せ場である三重人格のシーンも、それぞれ「生きること」と「ショーを作ること」の関係性を描いたものであるが、長くなってしまうため、暦ショーの意味付けとともに、改めて別の機会に論じることにしたい。

*4:実際、「Show must go on!」精神はファンの間でも共有されている。昨年末『紅白歌合戦』でSexyZoneはジャニーズJrたちとスネアドラムをたたくパフォーマンスを披露したが、楽器の配置ミスにより、佐藤勝利の前にスネアが用意されないという事件が起こった。その際、佐藤は大きく手を広げてリズムをとることで、まるで最初からそのような振り付けだったかのように見せ、ミスをフォローし、パフォーマンスを中断させなかった。SNS上では「まさにShow must go on!精神である」と機転を利かせた佐藤や動揺せずパフォーマンスを続けた他のメンバー、Jrを賞賛する声が上がっていた。

*5:「EndlessSHOCK 2015千穐楽」『明後日までは、とても待てない』(二〇一五年三月三十一日の記事より)http://moz.hatenablog.com/ 

*6:BSで放送されているジャニーズしか出演しない歌番組。番組名のため、家族にジャニオタであることを隠している場合には録画がためらわれる。

*7:bayfm「LOOK AT YOU-MA」(二〇一五年四月九日放送)

*8:WiNK-UP四月号』(二〇一五年三月 ワニブックス

*9:加藤シゲアキ『ピンクとグレー』(一〇一二年一月 角川書店)「ステージという世界の魔法、幻想に魅入られた幼なじみの二人の青年の愛と孤独を描くせつない青春小説。NEWS・加藤シゲアキ渾身のデビュー作。」

*10:矢野利裕「加藤シゲアキ『ピンクとグレー』が描くアイドルの本質とは?村上春樹作品との比較から考える」『リアルサウンド』(二〇一五年二月十二日の記事)

http://realsound.jp/2015/02/post-2468.html

*11:『Myojo三月号』(二〇一一年二月 集英社

*12:『SexyZone写真集 Sweetz』(二〇一二年八月 集英社

*13:『Myojo十月号』(二〇一二年九月 集英社

*14:『ポポロ五月号』(二〇一三年四月 麻布台出版)

*15:『ポポロ十月号』(二〇一三年九月 麻布台出版)

*16:日経エンタテインメント四月号 二〇二〇の未来予想図』(二〇一五年三月 日経BP社)

*17:前注と同。