大切なものを失うこと/守ること―演劇女子部『続・11人いる!東の地平・西の永遠』を観てきました

二年ほどまえに『リリウム』の話を聞いてからずっと観たかった演劇女子部。今回大好きな萩尾望都先生の『続・11人いる!』の舞台化ということで、ハロオタの妹にお願いしてチケットをとってもらい、一緒に観てきました。

こちらが公式ページ。 http://www.zoku11.com/

 

宇宙規模のお話をどう舞台化するのか、両性雌雄体のフロルがどう演じられるのか、原作ファンとしては不安も大きかったのですが、予想以上に良い舞台だったので、いま泡沫サタデーナイトのPVをかけながら感想書いてます。石田さんPVでは可愛い女の子なのに何度見てもときめくし、工藤さんが映るたびに「…かわいい」って声にでちゃうし、小田さんと譜久村さんが並んでると、あのシーンを思い出して泣ける。

以下、普段はSexyZoneを応援しているジャニオタが書いたものなので、見方がおかしかったり間違っていたりするかもしれません。温かい目で読んでいただければと思います。私が観たのはEAST公演なので、EASTの感想です。

 

もともと原作の『続・11人いる!』は、バセスカがメインの物語なのですが、今回の舞台ではバセスカとフォース、タダとフロルの関係性がクローズアップされていたと思います。原作はこちら。

11人いる! (小学館文庫)

11人いる! (小学館文庫)

 

 

  • バセスカとフォース

EAST公演で個人的に一番の見どころだったのは、譜久村バセスカと小田フォースの歌の掛け合いのシーン。もう、ここで、めちゃめちゃ泣いた。びっくりするくらい泣いた。

かつて宇宙大学入学試験で苦楽を共にした親友の二人。バセスカが若き王として治める東の国「アリトスカ・レ」と、フォースの故郷である西の国「アリトスカ・ラ」はもともと兄弟国。…だったのですが、伝統ばかり重んじて貧乏になってゆく東の国の行く末を心配したバパ大臣と、アリトスカを狙う隣国ドゥーズの陰謀で、二国の関係は引き裂かれていきます。同時にバセスカとフォースの友情もまた引き裂かれる。

西の国の和平使節団を殺害した濡れ衣を着せられ追われるバセスカ。

家族を人質にとられ、国の名誉を背負わされ、バセスカへの報復を言い渡されるフォース。

「振り向くな」とバセスカに銃を構えながら、「国のため家族のためお前を撃たねばならぬ」という小田フォースの歌には、最初から強い覚悟が滲んでいたように感じられました。選べないものを天秤にかけられ、どんどん追い詰められていったフォース。小田さんの圧倒的な歌唱力が、フォースのそんな覚悟と絶望に説得力を持たせていました。

小田フォースの歌が力強くてエモーショナルだった一方で、「絶対に生きて国に帰らねばならぬ」という譜久村バセスカの歌はどちらかというと感情を抑えた印象。でもだからこそ個人の感情ではなく、マヤ王としての責任と誇りとを背負っている人の誠実な苦悩と静かな覚悟が伝わってきました。後から妹に譜久村さんが今のリーダーなのだと聞いてとても納得。小田さんと譜久村さんの、悲劇の背負い方の対比がとても良かったです。

 

国・家族と親友、どちらも捨てられなかったフォースは、「お互いの国のために戦争を終わらせてくれ」と言い残し、バセスカの目の前で自ら命を絶ってしまいます。親友の命という大切なものを失ったからこそ、バセスカの国を守る決意は一層固くなる。二人がカーテンコールで一緒に登場して、固い握手を交わしたとき、私の涙腺は再び崩壊しました。フォースの魂は、バセスカと一緒にアリトスカを守っていくんだね…泣

自分にとって大切なものを守るためには、何かを選び、何かを失わなくてはならない。でもその喪失こそが、別の大切なものを守るための強さを与えてくれる。原作にも描かれているこのテーマが、二人の歌と演技によって際立っていたように思いました。

 

 

  • タダとフロル

石田タダと工藤フロルも大好きでした。工藤フロルがとにかく可愛い。時に少年の声に、時に少女の声に聞こえる工藤さんの声は、本当に伸びやかで魅力的。原作で大好きだったフロルが、血の通った身体を与えられて目の前で動いているのに感動しました!工藤フロル、まっすぐで気が強くて無邪気で可憐なフロルでした。

この工藤フロルの可愛らしさを引き出しているのは石田タダなのかも、とも思いました。思慮深くて優しいお花の香りがしそうな美少年。石田タダ、線が細くて背も工藤フロルの方が少し高いし、愛してるって全然はっきり言えないんだけど。でもこういう人の横にいたら、まっすぐに幸せに生きられるのかもと思わせる何かが石田タダにはありました。

 

フォースの想いを受け取り、タダ、フロルとともにアリトスカ・レに帰ったバセスカは、バパ大臣の策略により、兄のトマノに王位を譲るための署名を求められます。当然、署名を拒むバセスカ。そこで、もし署名をしなければフロルの指を一本ずつ落としていくと脅される。

ここまでは原作通りなんですが、今回の舞台ではタダがフロルの身代わりを申し出て

「フロルが傷つく必要なんてない!代わりに僕の指を落とせ!」*1

と言うんです。ここで私、石田タダに恋しましたよね。一気に胸が苦しくなった。

これが、タダにとってフロルを愛することなんだと思ってしまって。両性雌雄体のフロルにとって、タダのために女性になることは、大切なもののために別の大切なものを失うことなんですよね。女になる運命に生まれた末っ子フロルは、男になることに憧れて「女になるくらいなら死んだっていい」という覚悟で宇宙大学の試験を受けに来た。でも、そのフロルがタダと出会って女として生きることを選ぶ。つまり男になるという未来を失う。フロルのその喪失の痛みを分かち合うこと。できるならフロルに降り注ぐ痛みを出来るだけ肩代わりすること。原作にはないセリフなのに、タダの愛の深さを感じて泣きそうになりました。

テレパスの才能をもつタダにとって、手指というのは相手の感情を読むための大切な武器。そんな大切なものを、フロルのために失ってもよいとタダがとっさに判断できるのは、すでにフロルが自分のために大切なものを失う覚悟をしているのを感覚的にわかっているからなのかもしれません。腕力で助けられなくても、愛してるって言葉にできなくても、そういう大事なことをちゃんと分かっているタダは本当にかっこよかった。

 

大切なものを守るには、何かを失う覚悟を持たなくてはならない。でも、そんな喪失の痛みを分かち合うことで、きっとそれまでより強くなって、もっと大切なものを愛すことができる。守ることができる。タダ・フロルパートもバセスカ・フォースパートとテーマがつながっていると感じられました。

 

この演劇女子部、カーテンコールで演者が一人だけ代表で挨拶をすることになっているようなのですが、私が入った回は工藤さんの挨拶。ちょっと照れながら「茶髪ロングのかわいい子で検索してもわたし出てこないんです。いつもは黒髪ショートのかわいい子なんです」っていう工藤さん、最後までフロルすぎた。しかも石田さんが「ほんとかわいいよねぇ」ってナチュラルに言って、また工藤さんが照れて。うーん、やっぱり書いてて気づいたけど、私自覚してるより石田タダに恋してるのかもしれません。好きです。

 

勝手なことをいろいろ書きましたが、演劇女子部とてもよかった!ハロや娘のことを全然知らない私でも楽しめました。WEST公演も観たくなったし、次の舞台もぜひ観たいと思いました。ひとつだけ、次回もし戦闘シーンがあるなら、殺陣をもっと美しく見せる工夫をしてくれることに期待。殺陣は舞台の花形だと思ってるので。今回の場合、火消しのレッドを演じる生田さんの殺陣だけ他の子よりもずっと良くて、レッドの次元の違う強さに説得力が出るという効果がありましたが。

 

石田タダと工藤フロルの恋愛にいっぱいときめいて、譜久村バセスカと小田フォースの友情にいっぱい泣きました。ほんと楽しかった!ありがとーーー!!

 

 

 

 

女性アイドル関連の過去記事も良かったら。

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*1:書いてるうちに本当にこんなセリフ言ってたのか怪しくなってきた…。私の脳内で設定がプラスされてそうで怖い。他のセリフも含め、号泣しながら観た人間の記憶力の限界を感じながらお読みいただければ。すみません。

火薬の匂いとピストル型のペンライト ―KAT-TUN「10th ANNIVERSARY LIVE TOUR "10Ks!"」にいってきました

音楽番組などでKAT-TUNを見る度に、いつか自分がSexyZone以外に好きになるグループがあるとすれば、それはKAT-TUNなんじゃないか、とずっと思っていた。非日常的な世界観の楽曲と、その楽曲に負けないくらい圧倒的に美しい人たちが好きだから。でも、ずっとこわいイメージがあって近づきがたかった。会員制クラブのゴージャスなソファルームで、毎晩女をはべらせてワイングラスをかたむけてそうなイメージ。映画『ピンクとグレー』で菅田くんに裕翔くんが連れられてくとこみたいな。

 

今回のドーム公演も、急に仕事が入った同行者の代わりに行かないかと友人から誘われたとき、一瞬ためらった。演出がすごいと聞くKAT-TUNのステージ、めっちゃ見たい。でも、長年ファンを続けてきた方たちにとって特別な意味合いをもつ空間に私が行ってもいいものか。東京ドームのコンサートも、SexyZone以外のジャニーズコンサートも行ったことがない。映像もほとんど見たことがない。経験値が低すぎるのでは…。粗相して体育館裏に呼び出されたらどうしよう。迷った末に、やっぱり観たい!となって、5/1の公演にお邪魔させていただくことになった。

  ということで、KAT-TUN「10th ANNIVERSARY LIVE TOUR "10Ks!"」に行ってきたよ!とりあえず、すっごい楽しかったです!感動して書きたいことが山ほどあるのに、記憶がぶっ飛んでいたり、言葉が足らなかったりしてもどかしいけど、とにかく書きたいから感想書きます。粗相があったらすいません。

 

 

 

 

当日。初めてのドーム、初めてのKAT-TUNに若干緊張しながら、友人に指定された三角のモニュメントに向かった。すでに集まったファンの様子に圧倒される。パステルカラー少ない!黒い服率高い!あとネイルの色がボルドーとか黒とかゴールドで何かギラギラしてる!SexyZoneと違う!やばい、パステルピンクのお星様ネイルとかしてる場合じゃない!!

何より驚いたのは、グッズのTシャツをかわいく着こなしている人の多さ。Tシャツのデザインもハイフンさんたちの雰囲気と合ってておしゃれ。以前Twitterか何かで、「自分の女(ファン)にダサいグッズは持たせられねぇじゃん」みたいな亀梨くんの発言を読んで、何それかっこいい!って思った記憶があるのだけど、本当にそうなんだなって感心した。

 

会場に入って「ドームって本当に大きいな…」「ペンライト、スイッチが引き金がになってて、ほんとにピストルだ…」ってドキドキしているうちに身体にずんずん音が響いてきて公演スタート。

 

 初めて生で見るKAT-TUNは、なんていうか、ひたすら「圧」がすごかった。

この「圧」のことを「オーラ」というのかな。登場した瞬間に圧倒されて、気付いたらペンラあげて「ギャー!」って叫んでた。

 

 

  •   気持ちよくする天才亀梨くん

テレビで見て知っていたはずなのに、生の亀梨和也は本当にエロ美しくて、気づいたら亀梨くんをずっと見つめてた。セクシーじゃなくて、エロい。亀梨くんが触れると空気がエロくなるのか、花道歩いてるだけで、タオル肩にかけるだけで、首をちょっとかしげるだけでエロい。

亀梨くんが大画面に映るたびに、「フゥーッ!!」とか「ヒョーイ!」みたいな声が自然と漏れ出た。私から漏れなくても、後ろから横から前から同じような声が聞こえてて、美しいお兄さんがエロい仕草することに歓声をあげられるこの空間最高だなって思った。亀梨くんがサングラス外したり、舌打ちする大きなキメポイントも、「あ、これテレビで見たやつ」って思った次の瞬間には、周りの人の声に引っ張られて私も「ギャー!」って言ってた。もはや気持ちよく叫ばせてくれてありがとう!っていう気持ち。

 

ジャニーズに全然興味がなかった学生時代、いとこに突然「いいから、とりあえず黙って見て」ってKAT-TUNの『Real Face』のPV渡されて、二歳下の妹とふたりでKAT-TUNに釘付けになったことを思い出した。

私「も、もう一回見る…?」

妹「…うん、もう1回だけ見よっか(生唾ゴクリ)」

みたいなのを100回くらい繰り返した。腰をぐりんぐりん回すお兄さんたちと、やたら股間がアップになる画面を凝視する娘たちに、

父が「おまえたち、これはセックスのメタファーなんだぞ。分かってんのか?」

って言ったのも思い出した。父、10代の娘にセックスって言うのどうなんかな!?「メタファー」って言葉の使い方も間違ってるよ!「暗」喩じゃないし!あれはそのまんまセックスだよ!ジャニオタになった今なら「セックスのメタファーじゃなくて、セックスシンボルだからっ」って返せたのに!!!!!!

まぁチャラくて悪そうなお兄さんとその股間に熱中している娘たちに、何とかして冷水ぶっかけたかったんだろうな父。

一気に見すぎて過剰摂取したせいか、私と妹がKAT-TUNにそれ以上ハマることはなかった。でも生亀梨和也を見て、KAT-TUNに夢中になったあの一週間の、ねっとりとした熱狂を思い出した。

 

ドームの亀梨くん、歩いてるだけでエロかっこ美しいんだけど、やっぱり「MOON」で女性ものの着物を巻いたマイクスタンドと戯れる亀梨くんがすごい。「堕」とか「淫」とか、そういう漢字もぜんぶ亀梨くんのためにある気がした。なんていうか亀梨くんの方の性欲の発露ではなくて、私(たち)の性欲を引っ張り出してきて、大切に丁寧に優しく扱ってくれているのを見せつけられてる感じ。

MC中に、グッズの目覚まし時計の音声を録音するというコーナーがあったんだけど、「ラストだから亀梨くんらしくやりきってよー」っていうスタッフさんのリクエストに応えて、

「ほら、起きろよ、起きろって。…起きないといつものやっちゃうぞ。…ちゅっちゅっ…ちゅ…ちゅ…やっと起きた」

って本気出してた亀梨くん。五万五千人の前でエロい起こし方を実演する亀梨くん。録音中、付けてたテング衣装のマントをずっと頭からかぶってて、

「さすがに、これやる顔は恥ずかしくて見せられなかったわ」

みたいなことをはにかみながら言う亀梨くん。もうその恥じらいまで含めて、亀梨和也のエロかっこいい様式美みたいなのを感じて、とても興奮した。

私は父とは違うので、あえてマッサージって言いますけど、亀梨くんに限らずKAT-TUN三人とも凄腕のマッサージ師さんみたいだった。マッサージの時、ちょうどいいタイミングと力加減でツボおされると、「ふわぁーそこです!」みたいな声がでるじゃないか。KAT-TUNは三人ともこっちが欲しいタイミングで、欲しいかっこよさをキメてくれるから、「フゥー!!!!」って自然と盛り上がっちゃうんだなって思った。KAT-TUNの手のひらで上手に気持ちよく転がされて、フゥー!って声出すの、すっごく楽しかった!

 

 

  • ずるい。一緒におさけ飲みたい上田くん

上田くんは、本物のバイクに乗って登場したり、客席に手榴弾を投げつけてきたり、私の中のKAT-TUNのイメージそのままだったけど、だからこそMCのときの言葉の選び方がとてつもなく繊細なことが意外で印象的だった。きっとこちらに投げかける言葉をすごくすごく丁寧に選ぶ人なんだろうなって思った。

目覚まし時計録音コーナーで、あえて大声で怖い感じの音声を吹き込んで、あとから「子どもたち、勘違いしないでね?怖くないからね?不器用なだけだから!」って言ってて、思わずこの人かわいい…ってギャップにきゅんとした。

 小市民の私はKAT-TUNって完全な異世界の住人だとばかり思ってたけど、MCが始まったら三人ともびっくりするくらい普通のお兄さんみたいなことばかり言うし、しょうもない感じでボケるし、そのボケが誰にも拾われなくてかわいそうだったりするし、でも最後の最後は誰かがフォローしてあげるしで、パフォーマンスとのギャップにきゅんきゅんしっぱなしだった。ファンのことを綾小路きみまろみたいにいじって三人でにこにこしてるのもかわいすぎた。このギャップはずるい。正直、今ジャニーズで一番KAT-TUNと一緒におさけ飲みたい。こんなにかわいい人たちなら、もっとバラエティ番組見とけばよかった。 

 

 

 

 

  • 最終兵器なかまる先輩

そしてギャップといえば!なかまる先輩!毎週お茶の間にむかって「まじっすか!」って言ってるヘタレキャラのイメージしかなかったのに、『STAR RIDER』でこなれた感じでレーザー操りまくるし、途中めがねが似合いすぎてるし、あれ中丸くんってこんなにかっこよかったのか…って動揺した。もう次からTwitterとかで○○ポジネタのツイート見ても笑えなくてドキドキしてしまうかもしれん。今日もほんの出来心で「中丸雄一 メガネ スーツ」「中丸雄一 浴衣」で検索かけてしまった。意外にドンピシャな画像が出てこないので、どなたか検索の仕方アドバイスください。賢くて冷酷な感じのなかまる先輩が見たい。でもそんなん見たら、やっぱりチン○○ネタツイート笑えなくなってしまいそう。それは困る。

コンサート中、見つめていた時間は多分亀梨くんが一番長くて、二番目が上田くんだと思うんだけど、映像として頭の中に一番濃く残ってるのは、『春夏秋冬』のピストルかまえた中丸くんの表情なんだよな。強くてきれいで、忘れられない。私にとって初めての東京ドーム、初めてのKAT-TUNの思い出は、イコール中丸くんのあの表情になる気がする。

 

 

 

  •  背負うこと

KAT-TUNの東京ドームに行く前に、知り合いのブースをのぞこうと「文学フリマ」というイベントに寄ったところ、アイドル本を出されている方がいたので購入した。こちら。

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ドームからの帰り道、一人になって電車の中でなんとなくこの本を開いたら、亀梨くんを好きな方のインタビューが載っていた。少しだけ引用させていただく。

 

―じゃあ、KAT-TUNの"かっこよさ"はどこにあると思う?

やっぱり曲じゃない?曲の系統がかっこいいから、パフォーマンスもかっこよくなる。本人たちも「かっこいいのがKAT-TUNだ」って思ってるだろうし。 

 

―今、カメのどこが一番好き?

出た、その質問。全部。

 

―即答だ。

 待って、ちょっと考える。…アイドルでいようとするところ。「俺はアイドルでしか生きていけないから、アイドルとして生きていくんだ」って覚悟を決めて、腹くくってそうなところ。

(中略)

 

―それを一番感じるのはどんな仕事のとき? 

舞台かな。あとは映画とか、大きめの仕事をやっているとき。”背負ってる感”が目に見えるじゃん。

 

 

「背負っている」という言葉で、最後に三人がひとりずつ挨拶したときの、一言一言を思い出した。

 

上田くんが、「一緒にたたかってください」って言葉を選んでいたのが、個人的に一番ぐっときた。これからも、「一緒に」「たたかう」んだ。

中丸くんはグループとしての活動がなくなることで、ファンのコミュニティが薄くなってしまうことをずっと気にしていた。「信じて待っててね」って言うよりも、「個々の活動をジャニーズWebでちゃんとチェックしてね」っていうことが、中丸くんの信じる誠実な態度なんだって伝わってきた。

亀梨くんは、何度も「KAT-TUN亀梨和也として」って言っていて、掲げた未来を叶えられなくて申し訳ないって言っていて、6人分のKAT-TUNを背負っていて、インタビューに答えてる方の好きな亀梨くんそのものだったなと思った。

 

わたしもよくアイドルに対して「背負ってるところが好き」と言ってしまう。これまで「背負う」って、「アイドルという特殊な職業を全うすることに付きまとう様々な困難を、運命だと受け入れること」みたいにぼんやり思っていた。

でもKAT-TUNのコンサートに行って、認識が変わった。「背負う」って、アイドルとしての自分の人生を受け入れるだけじゃなくて、過去も、未来も、ファンの気持ちまでも受け止めることなのかも。

 

さっきも書いたけど、ピストルを持ったときの、中丸くんの表情が忘れられない。「船で過去の楽曲をめぐる旅」に出発する前、たぶん「春夏秋冬」のラスト。海賊の衣装を着て、持っていたピストルを中丸くんが掲げたとき、ひやりと背筋が寒くなった。銃口をこめかみにあてがったように見えたから。

昨年放送された『ナカイの窓ゴールデン伝説のアイドルスペシャル』で、中居くんが話していたチェッカーズの解散ライブの話が思い浮かんだ。フミヤさんがステージ上で、メンバーを一人一人銃で撃って殺していく演出*1を見て、中居くんは「(グループとして)こういう終わり方もあるんだ」と思ったという話。

ジャニーズのグループの終わりをわたしはリアルタイムで見届けたことがない。海賊船の高みから客席を見下ろす三人は夢みたいに美しくて、このまま自分たちでピストルでおしまいにするのかもしれないと思った。

でも、そんな風に思った次の瞬間、中丸くんはピストルを視線の先の遠くめがけてかまえた。銃声が響いて、暗転。

よかった、やっぱりKAT-TUNはまだ終わらないんだって思った。四人でいることに慣れていたから、三人だとステージでの立ち位置が少しずれてしまう中丸くん。KAT-TUNで居続けることは、今までの嬉しいことも、想像をこえるような悲しいことも全部刻み込まれた身体を、ファンの前にさらし続けることだ。悲しみを引きずらないために、グループを終わりにするという選択肢だってあったはずだ。でも、彼らはそれを選ばなかった。全部全部背負った上で、過去の楽曲と向き合って、一緒に未来を作っていくんだって信じさせてくれるパフォーマンスを見せてくれた。

  

 

  • ピストルの形のペンライト

すげえなKAT-TUNってドームからの帰り道、何度も何度も思った。どうやったら、あんなふうに強くなれるのかな。アイドルでもないし、東京ドームを埋められるような人間でもない私も、ただ生きているだけでいろんなものを失う。若さも、思い出も、可能性も、大切な人も、毎日どんどん失っていく。大切な人をひとり失うだけでも、どうしようもなくつらいのに、いつかまた繰り返されるのかもしれないと思うと、前に進む足がすくむ。でも、あのドームからの帰り道、馬鹿みたいなんだけど、ピストル型のペンライトがかばんに入っていて、なんだかちょっと強くなった気がした。

だって、ジャニーズ以外のライブも含めて、客席を見るなんて経験は初めてだった。コンサート中、何度も何度も客席を見つめてしまった。近くの認識できる顔はどれもめちゃめちゃ楽しそうで泣いてるけど笑ってて、遠くの客席は赤い光が大きく同じように動いていて、三人にはステージの上からこれが全部見えてるんだと思ったら、その事実に泣けた。KAT-TUNはめっちゃ強くてかっこよくて、でもKAT-TUNを強くしたのは、多分あの一人一人の表情とか、赤い光の波なんだよなと思う。うまく言えないけど、ピストル型のペンライトを見ると、あの日の赤い光のすごい熱気は夢じゃなかったんだって思えて、私もできるかぎり強くありたいと思う。

 

 

亀梨くんが客席に向かって「今日のことを心に刻め」と叫んでいたんだけど、私はこれから東京ドームに行くたびに、火薬のにおいでむせたことと、家の引き出しにしまってあるピストル型のペンライトのことを思い出すんだろうなあ。というか、もう明後日、友人に誘われてSHINeeの東京ドーム公演行くんですけどね。ピストル持っていこうかな。

 

KAT-TUNのコンサート、また、絶対いきたい。待っています。そういえば、SexyZoneの松島聡くんも東京ドームに行ったようで、ジャニーズウェブの「薔薇色の日々」というブログでコンサートの感想を書いています。めちゃめちゃ良い感想なので、もし今この記事を読んでご存知ない方いたらぜひそちらもチェックしてみてください!おすすめです!はあー、書いてたらなんだかほんとにKAT-TUNのコンサートまた行きたくなってしまった。

 

 

 

 

ジャニーズのコンサートの感想です。よかったらどうぞ↓

 

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*1:実際には解散ライブだからではなく、もとからそういう演出の曲で、他のライブでもやっていたらしいけど。

ジャニオタになったこの1年のできごと

たしか去年の今頃だったかなって過去記事をたどったら、このブログを始めたのは2015年の2月8日だった。あらためて読み直すと、その時々自分が感じてたことが蘇ってとても楽しい!来年の私のために今年も書くぞ!って気持ち。記念日を覚えたり祝ったりするの不得意なんだけど(大好きなセクゾンですらデビュー日とか誕生日全然言えないダメさ加減)、一周年記念にちょっとふりかえってみます。一年間続いたのは自分でもびっくりだ。

 

2013/2014年のカウコンをテレビで見たときが始まりだから、ジャニーズを好きになって正確には二年経つのだけど、Twitterとブログをはじめてからのこの一年の方がすごく楽しくて濃かったから、約一年のふりかえり。

2014年の8月は仕事を抱えすぎてものっすごくしんどくて人生ワースト3くらいのピンチで、休みがあってもやりたいことが思い浮かばないっていう「ワーカーホリックなアラサー女性の大変残念なケース」の見本みたいに生きていたのだけど、そんなときに松島聡くんとマリウス葉くんがメインで出演していた「ガムシャラSexy夏祭り」を観に行って、すっごい楽しくて元気になって帰ってきたんだった。それでもっとSexyZoneのこと知りたくてSexyZoneについて話したくてTwitterアカウント作ったんだったな。

自分のことながら人生のピンチを「ガムシャラSexy夏祭り」に救われるって面白すぎない?だってガムシャラでSexyな夏祭りだよ?まだまだずっと生きたいけど、最近友人ともし急に死んだら出棺のときにどんな曲を流してほしいかって話をしてて、友人はSPEEDの『Go!Go!ヘブン』をかけてほしいって言ってたんだけど、私はその時マリウスの『Paraiso』がいいなって思った。それで葬式の進行の人が「故人は、生前、仕事でくじけそうなときに『ガムシャラSexy夏祭り』に救われたと話しており…」とか言って、参列者の顔が????ってなるみたいな。人生のおしまいは、そういうやつを、ひとつおねがいしたい。

 

ここからこの一年間の話。2015年の1月にはじめてジャニーズの舞台を観て、そんでブログをはじめたんだっだなー。もっとずっと昔な気がする。なんか、初記事のタイトルのはてなブログ感がすごくない?笑

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 本当に本当にジャニワが好きで、誰に見せる予定もないまま去年の今ごろは大量の感想文を書きまくってたな。Jrの子が中島健人くんに主演映画の1200字の感想文を渡したっていうのが話題になってたけど、私もJrに転生して、健人くんに12000字の感想文渡して、紙の厚さに怪訝な顔されたかったよ。喜ばれるんじゃなくて怪訝な顔されたい。

 

自分は、感じた劇場の空気とか、心が動かされたことを言葉に置き換える時間がすごく好きなのだと最近やっと分かってきた。ジャニーズを好きになる前から、演劇とか歌舞伎とか宝塚とかで劇場にはよく行ってたんだけど、これまで好きだったものは私が言葉にしなくてもすでに書籍やネットで他の人の感想や評論が読めて、「そうそう!」って満足して終わってた。だけどSexyZone関連は、自分好みの感想をうまく探し出せなくて、自分で言葉にするしかないって思ったんだよなたしか。「YOU、Don't think,Feelだよ!」って怒られそうだし、劇場で「はあ、なんて素晴らしいの!」って思ったことをそのまま言葉にできるなんて思わないけれど、それでもこれが私の楽しみ方なんだなって分かってからは、ジャニーズ関係なく感想文書くの加速した気がする。

で、一年間ジャニワに恋焦がれ続けて、1月のジャニワの感想を12月にアップするという酔狂なことをしたり。

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2015年は「♪一年は12ヶ月~その先に何があるか 幸せ夢希望 探そう新しい未来~」って心の中でいつもA.B.C-Zさんが歌ってくれてたから、タイトルは「いまさら」ってしたけど自分の中では全然いまさら感はなかった。今年のジャニワを観る前に、去年の感想を読み直すのが楽しかったので、今年分も今年中には書こう。今までひとつの劇団を追って演目の変化を楽しむことはあったけど、毎年やる演目がある程度確定していることで、こういう楽しみ方もできるんだなって新鮮に思った。

ジャニワって、よくジャニーズ舞台の集大成みたいに言われるから、ジャニワに感動してから、ジャニーズ舞台は観れるだけ観ようって、この一年間はりきってたくさんチケットとって観に行って超わくわくしたなぁ。中高生の頃に好きな映画監督とか作家とかが影響を受けたものをディグっていって、さらにお宝を発見したときみたいな。そうか、こうつながるのか!こう違ってくるのか!ここに居てくれたのか!っていちいち叫びたくなる感じ。

『EndlessSHOCK』『少年たち』『DREAM BOYS』『ABC座』を観に行った。どの公演も演者がきらきらしてて素晴らしかったなあ。

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観た舞台全部感想をノートにまとめているのだけど、ドリボの感想の続き含め、無精で記事にできていない。ノートに一通りまとめると満足するんだけど、他の人も読むことを前提に書いた言葉の方がシャンとしているので、記事としてアップすることにも意味があるなって思う。

ジャニーズの内部舞台と外部舞台の違いについても考えたくなって、優馬くんの『ドリアン・グレイ』と、小瀧くんの『モールス』を観た。二人とも座長として圧倒的に輝いていて、どっちも好きな舞台だったなー。

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だんだんジャニーズ全体についても考え始めて、これを書いたのもすっごい楽しかった。

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この記事は単なる宣伝だけど、せっかく長文書いたので、そのうち本文をアップできればいいな!ジャニーズのコンテンツの継承の話。書いているうちに、私の中では、中居くんと光一くんというのがジャニーズの二本柱的な存在なのだと気づかされた。もちろん異論は認めまくる。

 

 

 

去年、久しぶりの友人に会うとかなりの確率で「なんでジャニーズについて書いてんの?」と聞かれた。「お前が書いてるようなのって、『私の好きな○○くんについて勝手なこと言わないでください!っていうか新規消えろ!』って炎上しそうじゃん?こわくないの?」って何度も言われた。私としては、人に知らせずに始めたTwitterのオタクアカウントやブログがリアルな友人知人に読まれてることの方が、ずっとこわいと思ってるよ!笑

 

で、何で書いてるのか…やっぱり、自分の感動を言葉に換えてく時間が好きって言うのがまずは大きいと思う。あと、最近読んだ漫画に出てきて書き留めたセリフ。

空腹を忘れる芸術をあなたが感じたことがないのならそのことの方が不幸だ *1

 仕事とか恋愛とか友達とか、30年近く生きていると気づかないうちに、こんな風に生きるべきってしばられてるものがたくさんある。そういう自分でも意識してないような価値観を相対化してくれるのが、私にとって劇場に通うことかもって思う。劇場に通ってると、自分が何か成し遂げた気になっていい気になってたこととか、めっちゃ落ち込んでたこととか、どうでもよいなってなる。元気になるし、自分の傲慢さにも気づける。劇場で過ごしたそういう時間を絶対忘れたくなくて、書いているのかな。

それでさ、その劇場で演じてるのが、人間国宝だろうと、アイドルだろうと私にとっては関係ないとこの一年であらためて思った。すごいって思えるなら、肩書きは関係ない。だし、それがたとえ他の人にとって価値が分からないものでも馬鹿にしたり貶めたりする権利は誰にもない。

大げさだと思われるかもしれないけど、ジャニーズのコンサートも、私にとっては劇場に通うのと等価なんだよー。

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結局風磨くんのソロコンの感想しか書いてないんだけど、 昨夏は中島健人くんのソロコンも私にとってものすごく感動した空間だったので、健人くんのソロコンについてもちゃんと言葉にしたいとずっと思ってる。好きが強いほど、他人に向けた言葉に変換するのにエネルギーと時間を要する気がするよ…。

 

もうひとつ、ジャニーズについて書いている理由として、ジャニーズを好きになる前から「アイドルを応援することはアイドルを苦しめる構造に加担することだ」っていう考えがずっとあるのも大きいかもしれない。去年一番読んでいただいたり、感想をいただいたりしたのがこの記事だから、同じ思いの人は少なくないのかなと思ったのだけど、どうだろう。

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 今思ったけど、阿久津君がTwitterでキスマイの北山くん担であるとおっしゃってたので、ブログタイトル直した方がよいかな…。

そもそもアイドルに限らず、「好き」とか「幸せになってほしい」って思うことって、相手を苦しめることでもあると思っている。そういうことをアイドルを通して考えたいのかな。そうは言っても大切な人に幸せになってほしいって思ってしまうから、免罪符がほしくて書いているような気もする。もうずっと「好き」と「ごめんなさい」っていう矛盾した気持ちでアイドルを応援しているし、なんなら家族とか友人にも同じ矛盾を感じながら接してる。

歳をとるたびに、確かなことなんて何一つないってことだけが分かってくる。もっと歳を重ねると、また違う感覚になるのかな。超良い子で健やかだった野球少年が病気で急に死んじゃったりするし、あの人はかわいそうだって言われ続けてる人が他人には手の届かない幸せを知ってたりするし。うまく言えないけど、私が分かってることなんて本当に少ない。SMAPの騒動を待つまでもなく、ジャニーズやアイドルを応援することが「正しい」かどうかなんて、多分一生わかんないのかもしれないって思う。だから悲しいことや良くないと思うことはきちんと受け止めつつ、こうするべきって思考停止しないで、その時その時で考えて選択していくしかないんだろうな。できるだけ誠実でありたいと思うけれど、誠実さなんて自己満足でしかないとも思うから、むずかしい。

 

アイドルにはまることって、よく「沼」って表現されるんだけれども、でも不思議と私はSexyZoneを好きになってからの方が呼吸がしやすくて、生きるのが超楽しい。人見知りだから対面で会えたのは二人しかいないけど、インターネットを通じてこの人好きだなって思える人にたくさん出会えた。今までなんとなくバラバラに好きだったジャニーズ以外のものも、SexyZoneを真ん中にしてどんどんつながってく気がして、フットワークも軽くなった。

お金がざくざく出てくから将来の不安を感じることもあるし、寝不足で会社行って怒られて反省することもあるけど、私の人生を生きているって感じがする。

 Sexy鬱期と五周年シングル「カラフルEyes」について書いたこの記事はダダダって短時間で書いたわりに、なんだかんだ一番のお気に入りだなー。

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去年の記事読み直して、ブログに書き残すことがこんなにおもしろいのだとわかったので、次の一年はもっともっと書きたいな。この一年でまともな記事が11本。月1本以下のペースだったから、二週間に1本は書きたいです。と宣言しておこう。好きって気持ちをもっと真面目にたくさん言語化したいです。

 

*1:朔ユキ蔵『神様の横顔』より。この漫画は今度あらためて紹介しますけど、すっごい好きです。

「ジャニーズなので、自分たちで選んだ、かっこよさです僕たちなりの」

今からちょっと近所のCDショップに行ってくるんですけど、なんだか落ち着かないので、スマホでブログ書いています。殴り書きみたいな記事だけど、怒らないでー。

 

 

先日、2013~2014年のSexyZoneのドキュメンタリーを見てたとき、『悪魔ちゃん』の映画の宣伝でコンサートリハーサルに参加できなかったマリウスが、「間に合いますか?」と尋ねるインタビュアーにこんな風に答えていた。

でも絶対に完成させます、ジャニーズなので

他のグループのドキュメンタリーをあんまり見たことがないので比較できないんだけど、SexyZoneの人たちってすぐに「ジャニーズだから」とか「ジャニーズなので」って言う。ふまけんはすぐ言うし、勝利も聡ちゃんもけっこう言ってるの聞く気がする。

11歳でドイツからやってきて、Jrとしての下積みもほとんどないまま「SexyZone」になったマリウスが、「ジャニーズだから絶対やり遂げる」っていう精神を誰から学んだかって言えば、たぶんそれは四人のメンバーなんだよなーと思ったら、ぼろぼろ泣けてしまった。

 健人くんが先日雑誌のインタビューで「状況がどう変わっても、ぼくのスタンスはJrのころから変わっていません。何事にも全力でマジで!これが全てです」って言っていたけど、健人くんを応援するようになって仕事で手を抜いているのを一度も見たことがない。いつだって、その姿勢でグループをひっぱってきた健人くんが好きだ。

健人くんの姿勢を見て、アイドルってそういうもんだってインプットされてるSexyZoneが好き。お兄ちゃんたちの影響で、なんのためらいも衒いもなく「ジャニーズなので」って胸をはるマリウスが好き。

 

今年の6月の音楽番組で、同じグループなのに衣装に格差があることを司会の中居くんがツッコんでくれたとき、聡ちゃんは

かっこよさです!僕たちなりの

と答えてた。あの時期に、聡ちゃんが「かっこよさ」という言葉を選んでくれたことにはとても意味があると思う。

  風磨くんが先日のWebで三人体制時代のことについて、「かわいそうなやつなんて一人もいなかった」と言っていて、たしかにそうだったのかもなと思う。こういうことを、言わなくても済むのに言わないではいられない風磨くんが好きだ。 

かわいそうじゃなかったのは、風磨くんが三人仕事のときでも聡ちゃんマリちゃんの話を積極的にしてくれて、聡ちゃんとマリちゃんのがんばりが未来につながってるんだって示してくれようとしたことが大きいんじゃないかと思っている。どんな状況でも、かっこいいアイドルでいようとしてくれるSexyZoneが好き。カメラにソロで抜かれない日々が続いても、全力の笑顔でキラキラアイドルしてくれてた聡ちゃんが好き。 

 

この一年くらい、正直なところ、こんなに五人で出してもらえないなら、ジャニーズとかSexyZoneにこだわらないで別の形を選んだ方が本人たちにとってよいのかもって思ってしまった瞬間もあって、「絶対五人で!!!」って考えている私は足かせかもしれないと思うと応援することが怖かった。「五人が大好き!」って応援することが、重荷になってるのかなとか。

運営がセクゾン成長物語を作りたいなら、もっとわかりやすい試練を与えてくれればいいのに、とも思ってた。五人で五〇万枚CD売ったら継続、売れなかったら解散!とかさ。そしたらそれに向けて全力で動くよ?って。

でもそういうわかりやすいきっかけもないまま、なんとなく五周年でリスタート!っていう雰囲気になっていて、ずっと頑なに上三人と下二人って撮影さえ分けていたアイドル誌も、呪いが解けたみたいに急に五人で仲良しっていう記事ばっかりで、一体私は何と闘っていたんだろうかと思う。こうなることはいつから決まっていて、いつから五人に知らされていたのかな。

 

アイドルの一番大事なことは、いつも私の知らないところで動いて決まっていて、それを知らされて「ギャー」とか「キャー」とか言うしかできないんだなってあらためて思う。

落ち込んでいるときにおいしいものを一緒に食べに行ったり、悩んでるときに話聞いたり、抱えている仕事を手伝ったり。アイドルを応援するときには、普段まわりの大切な人に対してやるような、そういう手段は用意されていない。わたしの見えないところで行われる頑張りや選択を信じて応援することしかできない。その応援だって、本当にアイドルのためになっているのかわからなくなる瞬間もある。三人体制のCDを買うこと、五人が見たいと雑誌にハガキを書くこと。何が本当に正しいことかなんて、分からなかった。

 

でも、やっと今「カラフルEyes」を買うことは、私にとって正しい応援だと思える。勝利くんが雑誌のインタビューで、

僕はメンバーは自分たちで選んだんじゃないかと思えるほど不思議な縁を感じる

 と言っていた。勝利くんが、五人で活動することを望んでいること。今までも、ソロコンの衣装に「5」っていうモチーフがついてたり、セクチャンで五人でプリクラとれなかったことに泣きそうな顔してたり、勝利くんの想いはちょっとずつ伝わってきていたけど、今回のCDの特典映像ではしゃぐ姿を見たら、言葉以上にグループが大好きなことが伝わってきた。守るとかじゃなくて、自分の居場所として勝利くんが大切に思っている場所。

 

勝利くんの愛するSexyZoneが、私も好きです。

 

どんな状況でも一人一人が「ジャニーズとして」素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたこと、絶対に誰もずっと「かわいそう」にも「かっこ悪い」にもならないでいてくれたこと、苦しそうに見える瞬間もたくさんあったのに、それを誰のせいにもしないで自分たちで選択したこととして背負い続けてくれたこと。本人たちに、ずっと救われている。どんなに永遠を誓っても、お互い未来のことはわからないから、だからこそ今日のこの気持ちを忘れたくない。

 

私は、彼らの頑張り・選択の一つ一つに口を出すことはできない。見えない頑張り・選択を信じて応援するしかない。でもこの応援が、ちゃんと届きますように。うまく言えないんだけど。

 

ということで、今から近所のCDショップに行って、今週最後の応援してきます。それしかできないからな!Show me your Love!!

 

カラフル Eyes(初回限定盤A)(DVD付)

カラフル Eyes(初回限定盤A)(DVD付)

 

 ↑「Welcome to Sexy Land!!」byマリウス。今回のMV凝ってます。セクゾンらしいファンタジーな世界観の街で、五人がそれぞれ彼氏目線でデートしてくれてます。メイキングもめっちゃ充実!!セクゾンといえば、ふまけん、聡マリという二大シンメ+絶対的センター勝利様というグループとして知られているかと思いますが、実は他にもけんしょり、ふうそう、ふうマリ、しょりそう、さときく、けんマリ、けんそう、しょりマリと五人五色の魅力だけでなく、コンビの組み合わせの豊富さも魅力的。そんな魅力が堪能できるのが、このA盤。きっとお気に入りのコンビが見つかるはず!

 

カラフル Eyes(初回限定盤B)(DVD付)

カラフル Eyes(初回限定盤B)(DVD付)

 

 ↑実はこのB盤の特典が一番オススメ!五周年突入記念イベントの様子や、今の五人からファンへのメッセージが収録されています。イベントで、五人のシルエットが映し出された瞬間のあの鳥肌たつ感じ!イベントをばっちり追体験できます。ふまけんがデビュー当時を振り返って完全にちびーずのパパママなのも最高。我らが皇子佐藤勝利さんのメッセージは、その部分だけでCD買いたいくらい。あのね、ほんといい歳した私が泣いたから!最高だから!騙されたと思って見て!

 

カラフル Eyes(初回限定盤C)(DVD付)

カラフル Eyes(初回限定盤C)(DVD付)

 

 ↑メンバー同士の素っぽいかわいいわちゃわちゃが好きならC盤!なんってたって「湯けむりSexyバスツアー」ですよ!バスの中でトランプして罰ゲームしたり、焼肉食べて五人でカラオケしたり、肌色のタオル一枚で温泉入ったり、浴衣でおでこ寄せ合ってお話したり…メンバーの私服も必見!お値段以上セクゾンすぎるよ!!

 

カラフル Eyes(通常盤)(CD Only)

カラフル Eyes(通常盤)(CD Only)

 

 ↑というか!今回曲もいいんですよ~。黒崎くんのいいなりになんてならないの主題歌とダブルA面!通常盤もジャケットが最高にかっこよくてかわいいし、なんと五人のうち誰かのめちゃめちゃかっこいいトレカがついています。セクゾン気になるけど、まだ誰担か決めていない方は通常盤のトレカで自分の担当するセクゾン占いをするのはどうでしょうか。誰の担当になっても、きっと幸せにしてくれるよ!!

 

他の記事でも聡マリについて語っています。↓

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新春2015ジャニーズワールドけんしょりの美しさについていまさら語ってもいいですカッ

※この文章は、2015年1月の新春2015ジャニーズワールドについて書かれたものです。

先日少クラで今回のジャニワ新曲である「New day」が披露されて驚きました。もうジャニワ始まる季節なんだね。そもそもこのブログ、前回のジャニワに感動した私が、ジャニワについて語るためだけにつくったはずなのに、気づけばまともに書かないうちに一年経ちそう。はやいこわい。

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実は今日、新しいジャニワを観てくるので、なんとなく去年の感想を読み直してたんですけど、パソコンのファイルから大量のポエミーな文章が出てくる出てくる笑。わたし前回のジャニワこじらせすぎではないか…。今日新しいジャニワを観て、去年の自分のジャニワ像がぶっとばされても、強化されても、それはどっちでもいいんですけど、 今書いとかないと去年のジャニワ狂の自分が浮かばれない気がするので、パソコンのなかで眠っていた文章を引っ張り出してみます。以下、新春2015ジャニーズワールドを新春ジャニワと呼びますよー。

 

  •   新春ジャニワのテーマ

新春ジャニワの大まかなストーリーは以下のようなもの。

  ミュージカルカンパニーの一員である(佐藤勝利演じる)「勝利」と(中島健人演じる)「健人」。ある日ショーのフライング中に「勝利」がセットに衝突する事故に遭ってしまう。「これ以上ショーを続けられない」と言う勝利に対し、ショー作りに心血をそそぐ(錦織一清演じる)「プロデューサー」は「Show must go on!」と説く。「プロデューサーは狂ってる!」と文句を言いながらも、一緒にショー作りを続ける二人。プロデューサーは、今までにない新しいショーを作るために二人を連れて人間の暦を越えた「十三月」を探す旅に出る。

 この「十三月」を探す旅は、一月のジャポニスム満載の和楽器ショーから始まり、タイタニック号沈没のシーンの寸劇、ヒンデンブルグ号事件、第二次世界大戦、オリンピック、十二月の源平合戦まで、月ごとに次々に場面が変わっていくレビューのようなもの。くわしい意味付けはここでは割愛するけど、プロデューサーのこれまでのショーのアイデアを集めたものだと考えられる。つまり、ショーの歴史をたどる旅でもある。重要なのは、ジャニーさんを彷彿とさせる狂気のプロデューサーがこの旅で「勝利」と「健人」に何を伝えたかったか。

旅の中で「勝利」には、「生きることの意味とは…」「生きるって何なんだ」という台詞が与えらてれていて、「健人」には「やっと分かりました!狂気の意味が!挑戦と冒険こそがショーを作るんですね!」という台詞が与えられている。このことから「勝利」は「生きること」を、「健人」は「ショーを作ること」をそれぞれプロデューサーから学び取る存在だと考えられる。この二人が旅の中で悲劇ばかりを描くショーに絶望し、傷つけ合い、悩みながらも、理解し合うようになる様を描くことで「新春ジャニワ」は、「生きること」と「ショーを作ること」がショービズの世界を生きる上で切り離せないものであることを描いているのではないか。

物語の終盤、勝利と健人ががっちりと腕を組み、シンメトリーなポーズでフライングする見せ場は、まさに「生きること」と「ショーを作ること」が表裏一体であることを象徴しているのだろうと思う。このように考えたとき「Show must go on!」という言葉は「生きている限りショーを作ることから逃れることはできない」「生きるためにショーを作り続けなければならない」という意味も持つことになるのではないか。

これが新春ジャニワのテーマであり、これは勝利と健人の、それぞれの見せ場の作られ方にもあらわれていたんじゃないかなーと思ってます。

 

  • 勝利の見せ場

新春ジャニワでの勝利の見せ場は、赤布フライング。この舞台の中でも最も美しいシーンだと思う。天井から吊るされた透ける素材の赤いベールのような一本の布につかまり、命綱なしで回転したり、姿勢をキープするかなり大変そうな大技。観客は勝利くんの生身の身体だけで作り上げられる美しさに見惚れる。完璧な顔、表情、髪、手足、おへそ…まるでどこか遠くの国の神話の中の美しい少年神のような姿でした。

勝利くんは現実の生身の身体だけで、CGを駆使した完璧なフィクションのような美しさで人を魅了する才能がある人だと思います。勝利くんの身体がそこに存在するだけでショーが成り立ってしまう人。

新春ジャニワのテーマによせると、勝利くんは真摯に生きていることが、すなわちショーになってしまう人なのだと思う。

 

  • 健人の見せ場

一方、健人の見せ場は、本人も少クラで言っていたように「三重人格」のシーン。一幕の中盤、唐突に源平合戦のシーンが始まり、「健人」であったはずの健人くんはいつの間にか「九郎判官」として平維盛軍と戦います。そこになぜかそのままの勝利くんが出てきて、健人を助けようとする。そして紆余曲折あり、「健人」演じる「九郎判官」は間違って勝利を刺してしまいます。

健人は勝利を傷つけてしまったという罪の意識から狂気にのまれ、「残酷な健人」「おびえる健人」「強い健人」という三つの人格に分裂してしまうのです。照明の色が変わるたびに、声や表情がくるくるとオーバー気味に変わる健人くんの演技は見ごたえ抜群でした。

ここで重要なのは、劇中ずっと「勝利」でしかない勝利くんに対して、健人くんが何重にも役を与えられているということです。健人くんは「健人」という役を演じる上にさらに「健人」として「九郎判官」を演じることになります。その上でさらに、三重人格を演じ分ける。何重にもフィクションを演じているわけです。でも、なんだかその時のセリフがやけにリアルに聞こえたのを覚えています。

健人くんを、SexyZoneを応援するようになってから、彼が弱音を吐く姿をほとんど見たことがありません。最年長であり切り込み隊長でもある健人くんは、人一倍重いものを背負っているように見えることもありました。でも、それをファンの前で吐露することをしない人です。全部終わってから、あの時は悩んでたけど今はもう解決したから心配しないでっていう人。この三重人格のセリフは、ジャニワというフィクションの中の、さらにフィクションの世界の「九郎判官」が犯した罪について「健人」が人格を変えながら発するものだから、決して健人くんの本音じゃない。でも、そのセリフの中に、演技の中に、リアルな健人くんを見たような気持ちになってしまったのは私だけでしょうか。健人くんが普段絶対に言わないような弱音を、劇中の「健人」が言っていて、それは役であり、セリフなのだから、何重にもフィクションのはずなんだけど、フィクションを重ねた先にこそ健人くんのリアルがある気がしたのです。

新春ジャニワのテーマによせると、健人くんにとってショーをつくること、すなわフィクションの世界の住人であることは、健人くんが生きる上で必要なことなんじゃないかって思います。 

 

  • 勝利と健人のシンメトリー性

あくまで健人くんのシンメは世間でも勝利くんでもなく、風磨くんだと思っているSexy人間なのですが、勝利くんと健人くんが「パートナー」というのはすごくしっくりくるなと思います。勝利くんと健人くんはショービズの世界を生きる上での「生きること」と「ショーをつくること」の関係が対照的な二人なのかなと思うので。

 少し前までは筋力が足りなかったせいか、静止画では少年神なのに、ダンスをすると幼さや可愛らしさが目立ってしまった勝利くん。でも昨年くらいから、ダンスも表情も格段にパワーアップして、動いても少年神という段階にお入りになられたように見受けられます。昨年のツアーでのGhostの時の表情も芸術の域でした。勝利様がアイドルとして真摯に生きてくれるだけで、何億もかけてつくられたCGよりもずっと美しい。生きることが、フィクションの上を行く存在なんです勝利様は。そこが、唯一無二だと思います。

 

健人くんはその逆で、フィクション性が生身の身体を生きることよりも上を行っている存在なのかなと思います。ファーストコンサートでの「ファンの皆さんは僕たちの恋人です」っていうセリフ、JMK、健人とケンティ、ソロコンでの「彼女」扱い。

健人くんが言うことって、冷静になるとたまーに薄っぺらく感じることもあるし、ファンタジーオブケンティワールドなんですけど。あまりにもあまりにもまっすぐ言い放つから、なぞの説得力があるんですよね。ファンタジーなんだけど、ファンタジーの密度が高くて、逆に現実よりもずっとリアルになる感じというか。フィクションだってわかってても、ケンティワールドに没入できるし信じられる。それが健人くんの唯一無二なところだと思います。

 

新春ジャニワで、勝利と健人を座長にして ジャニーさんが描きたかったものは、この勝利の「フィクションを越える生身の身体」と、健人の「生身の身体を越えるフィクション」の対比だったのではないかと思います。

そしてさらにプロデューサーから放たれる「Show must go on!」は勝利くんには「生きている限りショーを作ることから逃れることはできない」、健人くんには「生きるためにショーを作り続けなければならない」という意味でそれぞれ響いたのではないかと思っています。

そう、エンターテイナーとしての生き方が対照的な二人が、プロデューサーの教えを受け、それぞれの役割をつきつめて真のパートナーとなることで「ジャニーズ・ワールド」は完成に近づくのであった…(ここまで妄想にお付き合いいただき、ありがとうございます)

 

新春ジャニワは、舞台のテーマ、座長二人の関係性がそんな風に響き合っていて本当に感動的でした。

 

さて、今から帝劇に向かいます!一年弱前の文章なのに、読み返したら勝利くんと健人くんのことを「佐藤くん」「中島くん」って呼んでる自分に驚いた!とりあえず今は苗字呼びはしっくりこないから直したけど、直ってないとこもあるかもです。

 

中島健人くん、佐藤勝利くん、ちょっと遅れてしまったけど、ジャニーズワールド初日おめでとうございます。

二ヶ月の長丁場、無事に完走できますように。

二人が、仲間と共に、新しい世界を見せてくれることを心から楽しみにしています。

 

 

天国のチャンプたちへー『DREAM BOYS』を観てきたよ!〈1〉

9月13日(日)のソワレ観てきました!念願のドリボ優馬風磨マリウス版!風マリがほめられてるのが自分のことのようにうれしくて、ものすごいハイテンションで浮かれながら帝国劇場に向かった記憶があるのですが、なんていうかもう、期待以上でした!ドリボは初観賞でしたが、伝統ある『DREAM BOYS』という作品の奥深さがぶわーっと伝わってきて、かなり感動してしまった!涙のせいでよく見えなかったシーンがあるので、映像化本気でよろしくおねがいしたい。ドリボ自体のファンになったので、玉森千賀宮田バージョンや過去作品もめっちゃ観たいよ!!ぜひ映像化おねがいいたします!!!

 

とりあえずオープニングからマリウスくんのフライングの優雅さに「マリウスが!フライングしてる!帝劇で!いまこの瞬間!まじ王子!まじ理想の王子様!美!美!美!涙」と感極まり、最後までそのテンションだったので、正直優馬も風磨もマリウスも超よかった!っていう感想がすべてです。でも気づけば観賞時から一ヶ月以上経っている今も、帝劇のドリボは終わったけど僕のこころのドリボはまだまだ終わりません!という感じで、『ナカイの窓ゴールデンSP』での中居くんと佐藤アツヒロくんの話にドリボの世界を重ねて泣いたり、10月発売の雑誌での風磨くんの発言に胸がアツくなったりしている。

セリフとかシーンは覚えている限りのニュアンスなので、なんか間違っていたらぜひ教えてくださいませ!

 

 

  • 『DREAM BOYS』は、継承の物語

おさらいのために、パンフを参考に簡単にあらすじをまとめてみる。

 

幼馴染であり、ボクシングを通じて友情と絆を育んできたユウマ・フウマ・マリウスの三人。チャンプに輝いたフウマは、過去に自分が負けた唯一の対戦相手であるユウマとの再戦を望むが、ユウマは突然ボクシングの世界を去ってしまう。

実はユウマは、心臓病の弟ユウキの移植手術のために大金が必要だったのだ。半年後、チャンプフウマをモデルにした映画にユウマが主演し、プロデュースをマリウスがすることが決まり、三人は再び引き合わされることになる。 フウマは、ユウマとのボクシング対決を、映画撮影の条件として提示するが、フウマの身体はすでに…

 

ジャニーズ舞台のあらすじ、まとめるのむずかしいよね!笑。ここに謎の女リカとマダムとか、後輩ヤスイなんかが絡むんだけど、今回書くことにあんまり関係ないので割愛。

中山優馬くん演じる主人公ユウマと、菊池風磨くん演じるチャンプフウマはシンメトリー*1な存在。主人公のテーマカラーは赤、チャンプは青。ジャニ舞台には赤と青のシンメがよく出てくる。ボクシングもスポーツとはいえ興業の世界だし、すんなり主人公の映画主演が決まることから、二人ともボクサーとして芸能事務所に所属して活動してるのかな。ボクシングと映画の世界が地続きになっている。どちらもショービジネス(=ショービズ)の世界。

ドリボのテーマは、このショービズの世界を生きる二人の「継承」ではないか。フウマからユウマにショービズの世界で生きる者の精神が引き継がれる。なぜ、主人公の「すべて引き受けてやるよ!」と、チャンプの「仲間と過ごした人生、悔いなんかねえよ!」があんなに印象的なのか。それは、それぞれ二人のショービス人生の「はじまり」と「おわり」のシーンだから。

『DREAM BOYS』はボクシングの世界を生きる者の姿を通して、同じようにショービズ界を生きるジャニーズアイドルの「はじまり」と「おわり」の景色を私たちに見せてくれる作品なのではないかと思う。

 

 

 

 ユウマは、ショービズの世界ではなく「現実の世界」を一番にして生きている人。弟とのささやかな生活を守るために、あっさりチャンプとの試合を放棄してしまう。物腰が柔らかくて弟思いのユウマは、家族思いのイメージが強い現実の優馬くんそのものという感じ。特に、チャンプとの試合が決まったあと、マリウスや弟のユウキとおしゃべりするシーンがめっちゃ優馬くん。

 

マリウス:ユウマ、チャンプとの試合だいじょうぶ…?

ユウマ:大丈夫だと思う?見たでしょ?「手加減はしねえからな!(フウマのモノマネで。似てる)」 手加減してくれよぉ…

 

 ボクシングを辞めて半年経った状態で現役チャンプと試合するなんて、いくら弟を助けるためとはいえ、無謀すぎる。目の前の困難に対して冗談を言って周りを笑わせながら淡々と立ち向かうユウマ。優馬くんは今までもこうやってふりかかる大役を引き受けてきたのかな。今回のドリボの殺人的スケジュール(通し稽古たった1日だっけ?)にも「手加減してくれよぉ…」って言って笑いながら誰のことも責めずに立ち向かったのかな。

チャンプとの試合当日、ユウマの運命は一気に変わってしまう。映画に出資しているマダムの失脚を狙う者たちの策略により、ユウマのグローブの中から鉛の板が見つかるのだ。鉄拳に倒れて病院に運ばれるチャンプ。押しかけるマスコミ。急にユウマを責めたてる人々。

マスコミから身を隠すユウマにさらなる不幸が襲いかかる。弟のユウキが、チャンプの仲間であるヤマモトを誤ってナイフで刺してしまうのだ。ユウマはユウキをかばい、警察にまで追われる身に。

こんなスキャンダラスな事件が起こった映画だから、映画は世間から注目され、ヒットに近づくかもしれない。でも、その代償としてユウマは、さまざまな人の好奇の目にさらされることになる。実際には何一つ悪いことをしていないのに、大事な試合で反則行為をした上に傷害罪まで犯したというひどいイメージがつきまとう。弟思いの優しい兄優馬と、勝利のために残酷で容赦なく相手を傷つける悪党ユウマ。身を隠して逃げれば逃げるほど、どんどん現実の優馬と、世間のユウマのイメージが離れていく。これ、まさにショービズ界に生きる者の苦しみではないだろうか。他人から持たれるイメージが自分のコントロール下になくなってしまう恐怖。みんながSNSを使う現代では、私のような一般人でもなんとなく理解できる気がする恐怖。

 

ユウマの「すべて引き受けてやる!」というセリフと、赤幕を一気に引っ張って落とすという演出がとにかく印象的な一幕おわり。なぜこんなにこのシーンのユウマに惹きつけられるのか。それは単純にユウキの罪を引き受けるという意味ではなく、マスコミや世間によって勝手に作られていく自身のイメージを引き受けて生きてやると言っているからではないか。歌舞伎の振り落とし幕みたいな演出なんだけど、これ幕を下ろすっていうより、幕開け的な意味の演出だと思う。つまり優馬のユウマとしてのショービス人生の「はじまり」の瞬間。ショービズの世界で生きざるを得ない自分の人生を引き受けた瞬間。

二幕の最初におどろおどろしい謎のショーが続くのは、ショービズ界に生きる者の苦悩?…多分。よく覚えてないけど、お面を次々外していく変面とか謎の黒ローブ集団とか、なんかそれっぽい。本当の自分とは?誰が味方で誰が敵なんだ??みたいな。

で、そんなぐちゃぐちゃな世界を通り抜けて挑むのが大技「ゆうまわる」。ショービズの世界は成功と失敗が紙一重。ほんの少しのことで足を踏み外してしまうという厳しい世界。何度も足元やグローブを確認して、息を整えて、技に挑む優馬くんの表情。優しい青年優馬が自分の背負う運命を引き受け、ユウマとしてショービズ界を生きる覚悟をもつ、主人公の「はじまり」の物語。だから、ストーリーが進むごとユウマはどんどん帝劇の0番に立つのが似合っていくのです。最初からかなり似合ってるけどね!

 

 

 

  • チャンプフウマ=ショービズの世界から、現実の世界へ

 フウマは、現実を捨てて「ショービズの世界」を大切にして生きてきた人。「親兄弟も女も捨てて、食うもんも食わねえでチャンピオンになろうって覚悟じゃねえのか。そんなんだったらやめちまえ!」というフウマは、やっぱり現実の幸せを捨てて夢を叶えてきた男なのだよね。

そんなフウマの夢の世界を、少しずつ現実が侵食してくる。戦うことにかまけて、これまでおろそかにしてきた自らの身体。実はフウマの頭蓋骨にはヒビが入っており、どちらにせよ長く生きられない身体だったのだ。なぜフウマがあんなにも主人公との対戦を熱望したのか。それは、きっと自分の人生のおわりの前に、「ショービズ人生」の「おわり」を迎えたかったからではないか。死ぬときはチャンプフウマじゃなくて現実の風磨として周りの人達と過ごしたかったのかもしれない。

天国シーンの「最高の仲間と過ごした人生、悔いなんかねえよ!」というセリフ。ここでフウマが笑顔なのは、ショービズの世界だけを見ている孤高のチャンプフウマではなく、現実の世界の風磨としてユウマと接することができるから。アドリブは天国シーンだけなんだよね。ここで風isネタはずるい。かつてショービズの世界を生きる者として覚悟を決めてすべてを捨てる前のチャンプはきっと、風磨くんみたいに優馬くんの楽屋でいつも寝てたり、知らない間に優馬くんのお母さんと仲良くなってたり(ストーリー上ではそれマダムや…)、マリウスが「ふーまくんいるー?」って探しにくるような子だったんだろう。

 

 

 

  • マリウス=ユウマとフウマ、現実とショーの世界をつなぐ

マリウスは今回、観客に寄り添ってエスコートする役割だったと思う。「ユウマにもフウマにもどっちにも勝ってほしい!」「ユウマがそんなことするはずないと思うけど…」「リカさんがなんだか気になるな…」っていうセリフは、初めてドリボを観る私の心の声そのもので素直に「そうだよねマリウス!」って思いながら観た。ラスト近くの「本当に悪い人なんて誰もいなかったんだ!」っていうのもマリウスが言ってくれると、なんか「そうなのか?…そ、そうなのかも…まあそんな感じだよねー」って素直に納得できてしまう気がする。マリウスパワー。ストーリーをほぼ知らずに観た私は、お話の受け止め方をかなりマリウスに導いてもらった。

ドリボに限らずジャニーズ舞台って、役者がジャニーズアイドルであることを前提につくられていると思う。役名はタレント名をカタカナにしたものだし、だいたいショービズ界について描かれてるし、観客が演者のバックグラウンドをある程度わかっていること込みで作られている。だから観客が役の向こうに、演じているアイドル自身の今の輝きとか、背負っているものを二重写しで観ることで初めて成立する舞台だと思う。役を通すことで、背負っているものがより普遍的に生々しく伝わる気がする。

ストーリーの中で、ユウマ=現実を生きる人と、フウマ=ショーの世界を生きる人の仲を何とかつなごうとするマリウス。同時にマリは私たち観客が、現実のアイドルと、ショーの中の役を重ねて鑑賞するのを助けてくれる役割も担っていたのかなと思う。

これはたまたまだけど、マリウスだけ役名とタレント名が同じ(両方カタカナ)なのも、現実とショーの二つの世界をつなぐ役としてよくできてるなって妄想した。

 

 

 

 

  • なぜボクシンググローブと心臓を渡すのか

ボクシング対決を機に、ユウマのショービズ人生がはじまり、フウマのショービズ人生がおわる。私が「ドリボって継承の話なんだ!」って思ったのは、フウマの病室シーン。フウマに憧れるユウキがお見舞いに来たとき、弱音をはくユウキに、自分がタイトルを獲ったときのグローブをプレゼントするフウマ。

 

ユウキ:ぼくもフウマみたいにチャンピオンになりたかったなぁ

フウマ:おまえの周りにはおまえの夢を叶えたがっているやつがたくさんいる。マリウスも。ユウマだって。

 

ユウキが帰ったあと、病室を訪れたマリウスにすがりつくフウマ。。

 

フウマ:ユウマを助けてやってくれ、マリウス。おまえにしかできないんだ…

マリウス:ボクにできることは何でもするから。今は休んで?

 

そして、主人公との思い出の曲である『DREAM BOYS』を口ずさむ。

 

 終わらない夢を描こう 雨の日も風にも ずっと

 

この歌声で継承の話だって、確信させられた。病床のフウマの歌声は、少し音が外れていて、かすれていて、とぎれとぎれ。やっぱり身体相当悪いんだ。でもそこまでして伝えなきゃいけないことがフウマにはあるんだ。

どんな世界でもチャンピオンになれるのはたった一人だ。一人がチャンピオンでいるためには、たくさんの人たちの支えがあったはず。そして、チャンピオンに負けた人たちの数え切れない挫折があったはず。頂点の景色を知っているチャンプだからこそ、そこに到達するまでにたくさんの犠牲を見てきている。そうやって自分のかわりに犠牲になったたくさんの人の夢を背負って、たくさんの夢の残骸を踏みしめて、フウマはリングに立ってきた。

 風磨くんに限らず、誰かがデビューするってことは別の誰かがその夢を諦めることかもしれなくて。誰かが美しくフライングするためには、その何倍も支えてくれる人が必要で。一人がステージで輝くためには、ものすごい数の支えと犠牲がある。

ドリボ前の8月のレコメン(文化放送のラジオ)でジャニーズのデビューについて風磨くんはこんな風に言ってる。

 

終わりなき戦いですね。人生を賭けた勝負ですね、これこそましゃに。(本人の発音ママ) 

 

めっちゃカッコイイこと言ってんのに最後で噛む風磨くん笑。

たくさんの人の夢を犠牲にして、背負って、ステージに立つ「人生を賭けた勝負」は、私には想像できないくらい苦しさをともなうものだろう。でも、それ以上に選ばれた者にしか味わえな素晴らしいものなのだろう。ガムシャラのスペシャルでそんなことを言っていた子がいた。それをフウマは、風磨くんは、知っている。だから自分の夢が終わるまえに伝えなきゃいけないことがある。風磨くんの場合、たまにその苦しさにもがく姿を隠さなすぎて「おいコラ!」ってなるんだけども…。フウマが「悔いなんてねえよ!」と言うことで、たくさんの道のなかでアイドルという道を選んだことに風磨くんが本当に後悔しないでいてくれそうに見えて、多分それが一番うれしくて泣けた。

 

フウマが病室で亡くなったあと、ユウキを助けようとしてユウマは崖?みたいなところに登って転落し、意識を失う。仮死状態になって天国の門の前で再びフウマに会うのだ。そこで自分の心臓の入った小箱を渡すフウマ。ユウキの病気の治療ための心臓。

これは、ハート=ショービスの世界を生きるための心をフウマからユウマに引き継ぐシーンでもあるのだと思う。フウマは後に残る者たちに、ボクシンググローブと心臓を、引き継ぐ。

 

ジャニーズって、先輩から後輩に衣装が引き継がれる。タグに「木村」って書いてある衣装が取り合いになったとか、Mステ出演時の衣装は○年に嵐がコンサートで着てたやつだ!とかよく話題になる。後輩たちは先輩の衣装を着てバックで踊ることで、先輩の背中を見て徐々にジャニーズとしての精神を学ぶ。あんな風に夢を叶えたい、あの一番前の景色を見たいと憧れて、夢をつないでいく。だから、フウマは夢の継承に必要なボクシンググローブと心臓をユウキとユウマに渡すんだと思う。やっぱりドリボってボクシングを描いているようで、ジャニーズを描いている話だ。

 

 

さて、あまりに長くなってしまったので、ここまででエントリを二回にわけます。後半は、SMAPとかジャニーズ全体の話をドリボとからめて書くつもりです。後半アップしたらエントリ貼りますねー。長々と妄想話にお付き合いいただき、ありがとうございました!後半の方が短くて面白い予定ですので!多分!笑 これに懲りずまた読みにきてくださったらうれしいです。

 

 

 

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*1:ジャニオタがよく使う言葉で、ステージで左右対称の振り付けを踊る二人組のこと。ジャニーズ舞台では、振り付けだけでなく、性格やストーリー上の役割が対照的な二人組が描かれることが多い。以下シンメ。

『ドリアン・グレイの肖像』を観てきました。ー中山優馬はなぜ美しいのか、あるいはプリンスチャーミングの孤独について

中山優馬くんの主演舞台『ドリアン・グレイの肖像』を観てきました。9/4(金)のソワレ、東京凱旋公演です。もう全公演が終了しているので気にする方は少ないと思いますが、念のためネタバレありますのでご注意くださいませ! 

舞台 ドリアン・グレイの肖像 <オフィシャルサイト> 主演:中山優馬 徳山秀典 舞羽美海 仲田拡輝 金すんら

 

オスカー・ワイルド原作のこの作品は19世紀のロンドンが舞台。圧倒的な美しさを誇るドリアン・グレイという美青年が、自らの肖像画に「この画のような若さを永遠に保ちたい」という祈りを捧げたことが、悲劇の始まりとなります。彼のこの祈りが天に通じたのか、ドリアン本人は見た目が二十歳のまま、かわりに肖像画が醜く歳を取っていく…という不思議なストーリー。

 中山優馬くんが美青年貴族役!しかも、美しすぎるがゆえの悲劇!絶対これ私の好きなやつじゃん!と公演が発表された当初からかなり楽しみにしていました。実際、オーソドックスなストレートプレイがそんなに得意ではない私でも、かなり心が動かされた舞台だったので、ちょっと何に感動したのか、書いておこうと思います。

 

  • アイドル中山優馬が「ドリアン・グレイ」を演じる意味

優馬くん演じるドリアン・グレイは人々に「プリンス・チャーミング」と呼ばれています。雰囲気で日本語にしてみると「魅力の王子」という感じでしょうか。ドリアンが人々を魅了するのはその美しさゆえであり、ドリアン自身が自分の美しさは「若さ」と切り離せないものだと考えている。つまり「魅力の王子≒若さと美しさの人」という位置づけなわけです。「魅力が実力を凌駕する人」とアイドルを定義づけたのはライムスター宇多丸さんだった*1記憶していますが、生まれながらにして圧倒的な美しさに選ばれたドリアンはある意味アイドル的な存在として描かれていると言えるかもしれません。

個人的に最近、アイドルが(比喩的にでも)描かれる作品には「救い」を求めてしまいがちです。平たく言うと、アイドル(的な人)に最終的にはなんとか幸せになってほしい!と思ってしまうんです。でも、ドリアンが「若さ」という期限のあるもの信望しているのならば、いつかそれを手放さなくてはいけなくなるとき、ドリアン・グレイは絶対に不幸になってしまう。これは近年の特に女性アイドル界隈の卒業や劣化(とすぐ騒ぎ立てられる)問題とつながっている主題だと思っていて。だから今回『ドリアン・グレイの肖像』がアイドル中山優馬くん主演で舞台化されるにあたり、「若さと美しさ」に対抗する価値観が描かれるんじゃないかと期待して観に行きました。オスカー・ワイルドに現代的な批評性をもたせるためのキャスティングなのかなと。だって優馬くんが所属しているのは「若さ」に対抗する価値観を打ち出し続けて、奇跡的にアイドルの寿命を延ばしているSMAPさんのいる事務所なんだもん!

 

  • 「若さと美しさ」に対抗しうるもの

そんなとてつもない個人的な思い入れを持って観に行ったせいで、最初は少し期待はずれだったかな…と思ってしまいました。だって、「若さと美しさ」に対抗する価値観が全然描かれない。

たとえば、ドリアンが恋をしまう大衆演劇女優のシビルは、ドリアン自身が彼女を褒める言葉を借りれば「センスと才能」の人。でも彼女は、ドリアンと恋に落ちた瞬間からまったく演技ができなくなってしまう。「本物の恋を知ってしまうと、舞台での演技なんてウソの感情でしかない」というようなセリフのとおり。自分の「センスと才能」を失ってまでドリアンを求めたシビルでしたが、ドリアンが愛したのは女優として輝く彼女。婚約までしたにも関わらず、演技ができなくなったシビルを拒絶するドリアン。絶望して服毒自殺するシビル。「若さと美しさ」の前では、「センスと才能」は何の価値も持たず、迷わず捨てられるものなのです。

(そういえば、友人のヘンリー卿にシビルとの仲をひやかされたドリアンが「彼女は神聖な存在なんだ。僕にとって彼女に触れるというのは、毎日彼女の舞台を観に行くということなんだ」と言う場面があって、ああこれなんてわたし…なんてジャニオタ…と思ったのは秘密。余談でした。はい。)

もうひとり、舞台の冒頭でドリアンの肖像画を書いてくれた画家のバジルは、ドリアンの美しさだけではなく、こころの純粋さも評価してくれた人。彼は「若さと美しさ」に固執し、いつまでも二十歳の見た目のままのドリアンを心配し、忠告してくれるんですが、あっさりドリアン自身によって殺されてしまう。しかもドリアンはバジルの遺体を何の痕跡も残さず消すように友人の科学者に頼みます。ドリアンとバジルの友情、そしてバジルの信じていたドリアンのこころの純粋さえ、「若さと美しさ」の前では何の価値もないものとして消し去られてしまうんです。 

そもそも、ドリアン・グレイという人物がなぜ「若さと美しさ」だけに固執するのかもほとんど描写されません。ドリアンが「若さと美しさ」しか持たない人物だったら自分の価値=「若さと美しさ」と思ってしまうのもわかる。でもドリアンは、お金も地位も教養もある貴族青年であって、しかも周囲の反対を押し切って大衆演劇女優シビルと婚約してしまうくらい、恋のためにすべてを捨てられるこころの純粋さも持っている。

だから、ドリアンの行動に納得できなくて、やっぱり、少し期待はずれかな…と思っていたんです。第二幕が始めるまでは。

でも、そうじゃなかったんですね。第二幕でわたしは、ドリアン・グレイの、いや中山優馬の美しさに五連続平手打ちくらいの衝撃をうけます。

 

ドリアンがなぜ「若さと美しさ」こだわるのか分からない…そんな感覚が変化したのがいつなのか、明確には思い出せないのですが、気づいたらわたしは双眼鏡(近いけど一応持ってきてた)を取り出して、ドリアンを、優馬くんを見つめていました。なんて美しい人なんだろうと。いや、お顔がキレイなことは前から知ってたし、わたしがわざわざ言わなくてもみんな知ってると思うんですけど、なんていうかそういうのじゃなくて。

二十一歳の中山優馬くんの美しさがあまりにも圧倒的で、ずっと見ていたくて、今この瞬間にわたしがこんなにも魅了されているということが、すべてなのだと思いました。生まれながらにしてすべてをもっているドリアンが「若さと美しさ」に固執する理由も、対抗する価値観が描かれないことも、中山優馬という存在で全部納得させられました。あなたがいま僕から目が離せなくなっているのが、すべての理由だよって優馬くんはセリフじゃなくて存在で語っていた。

多分、美しいことに理由なんてなくて、若さや美しさに惹かれてしまうことにも理由なんてなくて。そんなオスカー・ワイルドの、現代からするとぶっとんだ価値観を舞台の上で支えていたのは、他でもない中山優馬くん自身の「若さと美しさ」だったと思います。

 

  •  プリンスチャーミングの孤独 

ドリアンは「若さと美しさ」のためにほかのものを犠牲にするとき、必ず鏡を見ているのが印象的。鏡にはドリアン自身の目で見たドリアンが映っています。そこに映るのはいつまでも若く美しい自分。

一方で自分の罪の意識に悩むときには肖像画を見ている。肖像画は、他人から見たドリアンの姿です。その肖像画は、どんどん醜くおぞましい姿に変わっていく。

 生まれながらにして圧倒的な美貌に選ばれてしまった人の、誰とも共有できない孤独。ドリアンは最終的に自らの美貌と心中するような最期を迎えるのですが、最後の最後まで誰にも共感や同情を求めない。

その孤独と気高さが中山優馬くんの美しさによってとてもリアルに感じられて、だからこそ救いがなくて、この世界の誰にも絶対にドリアンを救うことはできないのだと思ったら、最後のシーンでは泣けてしまいました。

美しさゆえの孤独と孤独がひきたてる美しさ。

もっと平凡に生まれていたら、味わうことがなかっただろう孤独。友達や家族がいるとかいないとか、そういうことじゃない孤独。ドリアンの孤独が、アイドルと呼ばれる人たちの、選ばれし人がゆえのとてつもない孤独と重なって、余計泣けました。幸せになってほしい、とか寝ぼけたこと言ってんじゃねえよ、そんな同情求めてねえよ、と優馬くんにビンタされた気分でした。

 

  • アイドルが外部舞台に出演するということ

ジャニーズに限らず、普段アイドルとしての活動をメインしている人が、外部舞台の主演をつとめるときって、批判的に見られがちな気がします。舞台俳優さんというのは、それっぽい表情や台詞回しができればよいだけではなく、訓練された身体を持つ方が多いからです。アイドルはステージでファンを魅了するプロではあっても、発声とか身のこなしとかどうしても差が見えやすくなってしまう。一方のアイドル側も、舞台出演を積み重ねて舞台俳優としての実力をつけているわけではないのに、集客力を見込まれて主演に据えられて葛藤することも多いのではないかと思います。(わかっていると思いますが、優馬くんがそうであると言いたいわけではありません。)

でも、今回のドリアン・グレイを観て、アイドルが外部舞台に出演する意味が、なんとなくわかった気がしました。

こころの美しさゆえに「若さと美しさ」に固執し、悲劇を起こすドリアン・グレイのリアリティは、やはり優馬くん自身のイノセント感というか、ある種のまっさら感によって支えられていたからです。うーん、まだこのへんをうまく言葉にできないのよね。また言葉が見つかったら、加筆します。

でも、アイドルが外部舞台にたつときの、その独特の存在感をこれからきちんと言葉にしていきたいなあと思います。

 

『ドリアン・グレイの肖像』本当に観に行ってよかった。中山優馬くん、ほかのキャスト・スタッフのみなさまもおつかれさまでした!

 

最後にまたまた余談ですが、演出で優馬くんが客席に降りる瞬間があるのですが、そのときも観客は優馬くんの方を見るのではなく舞台上のシビルに注目していて、客席のマナーがとてもよいなと思い、ジャニオタ以外の観客が多いのかなと思っていました。でも、カーテンコールで三回目に優馬くんが出てきたとき、お辞儀だけじゃなく両手をあげて客席にお手ふりした瞬間、客席がすごいフニャって顔になって優馬くんに手をふり返していて、あーみんな、外部舞台だから、優馬くんが恥をかかないよう、すごく気をはって観劇してたんだなあと。そういうの素敵。なんか優馬ファンさんというか、ジャニオタへの愛しさがこみ上げて、一瞬で現実に戻ってこれました良い意味で。

 

実はこのあと数時間後に、中山優馬菊池風磨マリウス葉くんの『DREAM BOYS』を観てきます。評判がいいようで、ものすごく楽しみ。ジャニーズ内部舞台の優馬くんをみるのが初めてなので、なんとしても外部舞台のドリアングレイの感想をまとめたくて、慌ててこれ書いています。でも優馬くんの素晴らしさを表現するにはまだまだ言葉が足りないなあ。ドリボ観終わったらまた何か思うことがかわるのだろうか。はあーほんと、楽しみだなあ。いってきます!

*1:『マブ論』参照のこと