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ももいろクローバーZ『幕が上がる』がアイドル映画としてすごかったので、感想を書く。

またジャニワの記事ではありません。

 

ももいろクローバーZ主演の映画『幕が上がる』を観てきた。映画としての出来はともかく、ももクロちゃんたちが非常に魅力的だったのと、アイドル映画の中で特殊な作品になっていると感じたので、感想を書く。以下、ネタバレあり。

 

舞台は地方高校の弱小演劇部。なんとなーく演劇部に入り、なんとなーく部長になってしまったさおり(百田夏菜子)が、元学生演劇の女王だった美術教師(黒木華)、演劇エリート校からの転校生(有安杏果)との出会いを通して、仲間たち(玉井詩織・高木れに・佐々木彩夏ら)とともに自分の夢を見つけていく…というお話。

 

3月7日のウィークエンド・シャッフルの「週刊映画時評 ムービーウォッチメン」の中で映画の大枠としての評価はすでにしっかり語られており、私も鑑賞後に聴いてすごく納得した。

www.tbsradio.jp

http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20150307_watchmen.mp3

上のpodcastを聴いてない人のためにすごーくおおざっぱに要約すると、映画としての出来はそれほどよくないのではという話。さおりのナレーションで心情全部説明しすぎ!登場人物の葛藤や成長が唐突すぎ!ももクロの音楽がかかるタイミングがおかしくない?小ネタや誇張演技に必然性がなさすぎ!など。このような指摘は私も観賞中に感じていたことなので、うなずきながら聴いた。※ももクロちゃんは好きですが、大ファンというわけではないので、ももクロについて詳しい人ならもっと楽しめる小ネタもあったのかも。

 

でもね!映画の出来なんて関係なく、『幕は上がる』は良かったんだよ!じゃあ、どこがよかったのか。さらに宇多丸さんのラジオでの発言を引用する。

アイドル映画において僕がもっとも重要だと考える要素、その時の彼女たちでしか撮れない時間を真空パックするという、いわばドキュメンタリックな側面というのもきっちり押さえようとして、それがある程度うまくいっている

そうなのだ。『幕が上がる』はももクロの5人のメンバーの「今」をきっちり可愛く撮ってる。それは間違いない。劇中、はっとさせられるくらい特別に可愛い瞬間があって、5人それぞれを、好きになりかける。それは本当に間違いないのだ。

 

「5人が可愛いのでよかった」以上に『幕が上がる』はすごい作品なのではないかと思ったので、もうちょっと論を展開してみる。さきほど書いた映画としてちょっと疑問が残る点も、わざとなのかもしれない…と思わせるほど、実は『幕が上がる』は数あるアイドル映画・少女映画の中で特異性を持っている。それは、

「少女の汗と涙を見せ場にしていないこと。」

中森明夫は『アイドルにっぽん』という本で、2000年代の少女映画ブームについて次のように述べている。男女問わずアイドルが「演じる」ことについて考えるとき、私はいつもこの箇所を読み返したくなる。ちょっと長いが引用する。

これらの作品群は、実のところたった一つの物語を反復している。それは「少女たちが力を合わせて何かを成し遂げる」という物語だ。リーダー格の少女がいる。三枚目キャラがいる。家庭に問題を抱えた女の子がいる。そんな少女たちが何かに出逢って覚醒する。フラダンスでもブラスバンドでもカーリングでもいい。何か一つの同じ目標に向かって少女たちは結束する。メンバー同士の諍いがある。挫折がある。小さな恋の芽生えや、周囲の大人たちの協力がある。そしてクライマックスのステージへ。ラストは少女たちの涙・涙・涙……。重要なのは、それが”本物の涙”っであるということだ。若い女優たちは、役を演じるために実際にフラダンスや楽器やカーリングの猛特訓に励んでいる。その汗と努力の記憶が、役を超えてクライマックスシーンの彼女らに少女としての本物の涙を流させてしまう。「少女たちが力を合わせて何かを成し遂げる」―それは映画のストーリーとしてあるばかりではない。実際の彼女たち自身にとってのドキュメンタリーなのだ。どんなSFXにも作れない、巨額の製作費を投じたハリウッド大作にも叶わない……少女たちの”本物の涙”を味わうため、観客は「少女映画」に足を運ぶのである。     

「アイドル女優の可能性」より

アイドル映画・少女映画の肝は「少女の汗と涙」である、と言ってしまうと身もふたもない話だが、その通りだと思う。『幕が上がる』もここで語られている『フラガール』や『スウィングガールズ』等と相似のストーリー構造をもつ。何かに出会って覚醒し、挫折しながらも、力を合わせて成し遂げる。観客は、登場人物である演劇部としての5人と、アイドルももクロを、当然二重写しで見るはずだ。ももクロが頑張っている姿を観に来ているのである。ここでは詳しく触れないが、この作品はいわゆるアテ書きかと思うくらい、5人のパーソナリティやももクロをとりまく状況が作品の中に重ねられている。

近年のアイドルドキュメンタリー映画も、2000年代のこの少女映画の流れを汲むものだと思う。ただし、劇中の「汗と涙」の中に観客が勝手に”本物”を見出すものだったのが、ドキュメンタリー形式をとることでより直接的に”本物”の「汗と涙」を味わえるようになった。AKB関連のドキュメンタリーや私が最近観たものだと『BiSキャノンボール』など。どちらもやはりむきだしの「汗と涙」を見たという印象が強い。*1

 『幕が上がる』は鑑賞後、肝心の「汗と涙」についてほとんど印象が残らない。5人は映画の前に平田オリザのワークショップで演劇についてそれなりに厳しい指導を受けたと聞く。またストーリーとしては、挫折も葛藤も描かれているはずだ。

なぜ「汗と涙」の印象がないのか。それは葛藤・逡巡がすべて手紙の朗読を含むモノローグで語られるからだ。観客はその言葉以上の重い感情を想像しづらいのではないかと思う。劇中で「涙と汗」がメインとなるのは、主人公のさおりが見た悪夢の中のみである。このシーンがなんともコメディチックでシュールで、その「涙と汗」に感情移入するのは難しい。 

感情移入用の「汗と涙」が排除されているならば、何が描かれているのか。それは、5人の「笑顔」だ。劇中はもちろん、エンディングロールで流れるメイキング映像も、劇中なのかと見まごうほど、5人はずっと「笑顔」でずっと可愛くふざけている。エンディングロールくらい、ちょっとつらそうに俯いたり、上手くいかなくて泣きそうな顔をしていたりすれば、観客は”本当”のももクロの表情を見ることが出来た!と喜ぶはずだ。でもももクロはそれをしない。ドキュメンタリーバージョンの方では苦悩して号泣しているのかもしれないが、少なくともこの劇映画中では一切のそれを想像させないのだ。

 

佐々木彩夏演じる明美ちゃんがぽつりと、「やっている間は気付かないけど、部活って、いつか終わっちゃうんですよね」というようなことを言うシーンがある。アイドルの活動もいつかは終わるものだろう。*2『幕が上がる』はやはりまぎれもなくアイドルという存在を描いた映画であると思う。なんとなく演劇部に入った主人公さおりの演劇へのモチベーションは、「演劇が好き」などというように自分の中にあるわけではない。「目の前の人たちに必要とされること」「応援してくれる目の前の人たちのために頑張ること」それが彼女の夢になってく。

このアイドルを描いた映画の中で、どんな逆境に立たされようと、百田夏菜子の口角は下がらない。アイドルたちの”本物”らしい「汗と涙」よりも、私が今見たいのはこれだ、と思ったのだ。

劇中で百田夏菜子演じるさおりが言う。

「人生、狂ってもいいです。私の人生だから。」
「私たちはどこにも行けないけど、舞台の上ではどこまでも行ける。宇宙を目指せる。一人じゃない。」

「汗と涙」を見せるはずのアイドル・少女映画の中で、「笑顔」で語られるこのセリフが、ももクロのアイドルとしての決意として、とてつもなく説得力をもって響いた気がした。*3

アイドルにっぽん

アイドルにっぽん

 

 

2015年のアイドル論として、ユリイカの少年アヤちゃんと阿久津愼太郎さんの対談も衝撃的でした。

chocomintholic5.hatenablog.com

 

*1:『幕が上がる』もメイキングドキュメンタリーがあり、れにちゃんが号泣しているらしいのだが、ここではあくまでも一本の映画として本編の方だけを考えたい。

*2:ももクロは他の女性アイドルに比べ、「卒業」というものから遠い印象がある。また「卒業」のないアイドルを目指しているように見えるが、それでも今と同じメンバー・状況で活動していけるかは、どのようなグループでも保障されているものではないだろう。

*3:だからこの映画のメイキングドキュメンタリーの方は、観ません!